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20121016

posted Oct 16, 2012, 1:26 AM by Akihiko Shirai   [ updated Oct 16, 2012, 1:27 AM ]
★以下の課題1~3を出席URL(j.mp/ShiraiSemi)とキャリアポートフォリオの両方で投稿すること.
・課題1「人はなぜ伝えるのか」
 本日の講義をふまえて,自分なりの理由を探してみて下さい.
 作文:1000文字以下

・課題2「情熱大陸・猪子寿之(2012年7月15日放映)」についての感想
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=CNryE4hdwKY
・番組を作る側の視点で見てみて下さい
・この番組が伝えたいこと
・ヒント:放映時間帯,アサヒスーパードライ. (情熱,足りていますか?)
・番組で扱っていないことについても調べてみてよい. 例えばTeamLabについて
・300文字以上~上限なし
・課題3「ピアジェの遊びの段階説,感覚運動遊び」
 本日の講義をふまえて,自分なりの体験を説明してみて下さい.
 作文:1000文字以下
・締め切りは月曜朝9時とします.
 従来の出席URLにも提出しますので,バックアップとして,テキストエディタで作業しておくことをおすすめします. 


課題#05 10/9 「メディアートとは何か1」
★以下の課題1~3を出席URL(j.mp/ShiraiSemi)とキャリアポートフォリオの両方で投稿すること.
・課題1「メディアアートとは何か」
1-1 Wikipedia, Google等で調べてまとめる(300文字程度) 引用元なども明記
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【メディアアートとは何か・ネットで調べる】
"メディアアートは、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
日本では電子技術、映像技術やロボティックス、ヒューマンインタフェイス、バーチャルリアリティ技術の研究者たちがその応用の可能性としてメディアアーティストと共同制作を行なったり、メディアアーティスト自身が技術を習得・駆使して自らのアイディアを具現化するなど特に盛んになった。
Wikipediaより引用"

"メディアアートは、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現にビデオやコンピュータ技術などの新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。
ニューメディアアートともいわれるがこれはその生み出す作品(伝統的な絵画や彫刻など)、古い媒体(メディア)を用いたアートと異なる新しい媒体(ニューメディア)を使う作品群)によってそれ自身を定義しているからである。
参考文献 Wikipedia"



"メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明により生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
日本におけるメディアアートの発展は、1990年代前半からコンピュータゲームや電子玩具といった姿での実現を行なうとともに、電子技術、映像技術やロボティックス、ヒューマンインタフェイス、VR技術の研究者たちがその応用の可能性としてメディアアーティストと共同制作を行ない、メディアアーティストらが技術を習得・駆使して自らのアイディアを具現化するなど盛んになった。
引用元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
"
"メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用したもの、または新しく技術的発明によって生み出された芸術の総称的用語である。
メディアアートは他の芸術と比べると歴史は浅く、メディアアートの起源は1877年のエドワード・マイブリッジのズープラキシスコープ(円盤の端に少しずつ変化する絵を描いて回転させて動画のようにして見る円盤型パラパラ漫画のようなもの)がはじめと言われているが、インターネットが普及されるようになってから芸術の1つとして登場したのだが、今ではコンピューターも広く普及し、コンピュータで手軽に制作が開始できる事から、他の芸術よりもメディアアートの方が主流になりつつある。

引用元:wiki コトバンク
"
"メディアアートとは、近現代ならではの新しい美術の一つ。コンピュータ等を使用して、今まで(絵画、彫刻など)とは違う制作方法や表現方法を駆使した美術。
"
"芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発
明によって生み出される芸術の総称。ビデオやコンピュータ技術を
はじめとする新技術に触発されて生まれた美術。その起源は19世紀
後期の写真発明の変革まで遡ることができ、1960年代の映画の歴史
から分岐してビデオアートやパフォーマンス作品など数多くのメディア
アートが生み出された。日本におけるメディアアートの発展は
特徴的で、美術・芸術を背景とするアートとは別にデザイナー、
プランナーなどがコンピュータゲームなどの姿で実現を行い、
インターネットの普及にあわせて、技術者や研究者などの専門家の
協力のもとに「新しいメディア」をフィールドとしたアートワークを
具現化してきた。"
Wikipediaによれば、メディアアートとは「20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。」と記されている。メディアアートもまた芸術の一つと分類されるが、キャンバスに筆を立てたり、彫刻刀で像を彫るような芸術とは全く異なる。メディアアートで使用される媒体は、絵具や像ではなく、コンピュータやインターネット、或いはそれらを含めた科学の最先端技術をふんだんに用いた新しいタイプの芸術であると言えるだろう。
"メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくはその発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術を始めとする新技術に触発されて生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
この用語は、その生み出す作品によってそれ自身を定義している。例としては、伝統的なものであると絵画や彫刻といった古い媒体(メディア)と比較され、それとは異なる新しい媒体(ニューメディア)を用いた作品群を示している。ニューメディアアートは、電気通信技術、マスメディア、デジタル方式の情報運搬方法といったものから生まれ、それはコンセプチュアルアートからインターネットアートなどといった範囲にまで及ぶ。
"
"メディアアートとは、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特にビデオやコンピュータ技術
などの新技術に触発され生れた美術である。メディアアートはその生み出す作品によってそれ自身を定義する。
メディアアートという芸術の分野・分類ができたのはコンピュータやインターネットが普及されるようになってからなので、歴史は浅い。だが、最近はメディアアートが主流になってきている。それはデザインなどの作成の時にコンピューターを用いることが多くなったからだ。
(Wikipedia,http://www.mediaterra.org/引用)
"

"・絵画や彫刻といった伝統的な表現形式とは異なり、メディア・テクノロジーを駆使した新しいタイプの美術作品の総称。具体的な表現形態としては、ビデオ・アート、コンピュータ・グラフィックス(CG)、サウンド・インスタレーション、ライト・アート、ネット・アートなどがその範囲に含まれる。日本では、99年に東京芸術大学に先端芸術表現科が新設され、本格的なメディア・アート教育が開始されました。そうして、メディア・アートは徐々に市民権を獲得してきました。しかし、デジタル・メディアを主な制作素材とするメディア・アートはオリジナルとコピーの区別が成立しない点で旧来の美術とは決定的に異なっているうえ、作品評価もまだ技術偏重の観を免れない。メディア・アートの本質を理解し、安易なテクノロジーの礼さ賛や忌避に陥らない、冷静で客観的な評価基準の確立が必要である。

引用元) yahoo!百科事典
"
"20世紀中盤から知られるようになった、芸術表現に新しい技術的表現を使用するか、新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称
コンピュータ技術などの新技術に触発され生まれた物であり、こういった新技術の使用を積極的に志向する芸術
その生み出す作品(伝統的な絵画や彫刻など、古い媒体(メディア)を用いたアートと異なる新しい媒体(ニューメディア)を使う作品群)によってそれ自身を定義している

引用元『Wikipedia』"


"メディアアートとは、20世紀中盤より広く知られるようになった
芸術表現に新しい技術的発明を利用したもの、また新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語のことをいう。日本のメディアアートの発展は特徴的で、1990年代前半から特に商業芸術、デザイナー、プランナーなどがコンピュータゲームや電子玩具での実現を行っていた。
1990年代中盤からはインターネットの爆発的な普及とともに技術者や研究者、特にリアルタイムコンピュータグラフィックス、ネットワーク、社会学などを専門にする人々も、アーティストらとともに
「新しいメディア」をフィールドとしたアートワークを具現化してきた。
引用:wikipedia"


"20世紀中盤より広く知られるようになった、メディアそのものが制作原理、または素材とされ、芸術表現に新しい技術的発明を利用、または新たな技術的発明により生み出される芸術の総称。特にビデオ、コンピュータ技術等の飛躍的発展、普及、新技術に触発され生まれた美術で、このような新技術の使用を積極的に志向する美術。
新しい媒体を使う作品群そのもの自身によって定義され、電気通信技術、マスメディア、デジタル形式情報運搬方法等から生まれ、マルチメディアアート、インタラクティブアート、コンセプチュアルアート、インターネットアート、パフォーマンスアート、インスタレーション等。
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/
現代美術用語辞典ver.2.0β版 http://www.artscape.ne.jp/artwords_beta/
"

"コンピューターの性能の向上と普及率の増加によって生まれた新しい芸術表現。ビデオゲームやフル3Dムービー。3Dモデルやコンピューターミュージック、プログラム等を用いて作り出された、一個の纏まったデータ郡や、鑑賞者が触れる事によって変化が起こる作品等が該当する。既存の芸術、つまり画家が描いた風景画や人物画等と大きく違う部分は、作品自体を動かす事が可能な所が挙げられる。ビデオゲームで例えると、ゲームを進めていく事によって起こる、景観や出てくるキャラクターの変化がそれに該当する。


参考URL
コトバンク http://kotobank.jp/
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki"

"メディアアートとは20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくはもしくは新たな技術的発明によって生み出される
芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピューター技術をはじめとする新技術によって触発され生まれた美術である。またこういった新技術の使用を積極的に
志向する美術である。
この用語は、その生み出す作品によって自身を定義している。
ニューメディアアートは電気通信技術、マスメディア、作品自体が含むデジタル形式の情報運搬方法といったものから生まれ、その制作はコンセプチュアルアートからインターネットアート
、パフォーマンスアート、インスタレーションといった範囲に及ぶ。"
"メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用したり、新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発されて生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
メディアアートはデジタル・メディアを表現媒体とする芸術であり、人間存在のメディア・コンディションについての批評であり、その創造性は、芸術実践を通して文字通り「新しいメディア」を生みだすことにある。


引用「メディアアート-Wikipedia」「メディアアートとは何か」"
 その名称自体は20世紀中盤あたりより広まった言葉であり、芸術表現に新しい技術発明を利用する、または新たな技術発明によって生み出される芸術の総称的な用語を指す。また、この言葉が生まれたのはビデオやコンピュータ技術などといった電気通信技術やマスメディアなどから生まれたこともあり、作られる作品はCGなどのデジタル映像や音響を組み合わせたマルチメディアアートや、鑑賞者が触れたり、動いたりすることで作品自体が変化するインタラクティブアートなど、体感性を備えているものが主である。しかし日本での指すものと海外での指すものは少し違う模様である。
"メディアアートとは、飢餓や彫刻といった伝統的な表示形式とは異なり、メディア・テクノロジーを駆使した新しい技術発明によって生み出されるの作品の総称である。これは生み出される作品によって自身を定義しており、電気通信技術、マスクメディア、作品自体が含むデジタルき式の情報運搬方法といったものから生まれ、その制作は多岐にわたる。
 日本におけるメディアアートの発展は特徴的で、特に現在では電子(映像)技術やロボティックス、ヒューマンインタフェイス、VR技術の研究者たちがその応用の可能性としてメディアアーティストと共同制作を行ったり、メディアアーティスト自身が技術を習得・駆使して自らアイディアを具現化するなど特に盛んなっている。
(...Wikipediaおよびyahoo百科事典より引用)
"
"メディアアートとはメディアテクノロジーを駆使した美術作品の総称のことである。
具体的な表現形態としては、ビデオアート、CG、ネットアート等がその範囲に含まれ、また類義語としてテクノロジカルアートやインタラクティブアートがあり、特に後者はメディアアートの一領域として考えられる。
1980年以降のメディアアートの展開はコンピュータ等の最先端のデジタルメディアと機を同じく発展した。コンピュータのもたらす可能性が多くのアーティストの想像力を
刺激したことからメディアアートとコンピュータアートがほぼ一体化し同義語となった
そして1999年以降、メディアアートは本格的な教育が開始される等徐々に市民権を獲得してきた

Yahoo!百科事典(http://100.yahoo.co.jp/detail/メディア・アート/)より引用"
"メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、またはそれによって生み出される芸術の総称である。具体的な表現体系としては、コンピュータ・グラフィックス、サウンド、インターネットを組み合わせて作るマルチメディアアートや、鑑賞者が触れたり、動いたりすることで作品自体が変化するインタラクティブアートなどがある。2012年現在一般的にメディアアートと称されるものは1980年代ごろからコンピュータをはじめとするデジタルメディアを活用したコンピュータ・アートとほぼ同義語となっている。これはパソコンの普及に伴い活用が容易になったことと、インターネットを利用した空間拡張やバーチャルリアリティの導入、コンピュータがもたらす無限の可能性が多くのアーティストの想像力を刺激したことが大きな原因である。

引用:Wikipedia、Yahoo!百科事典"
"Wikipediaによると「ニューメディアアート、メディアアート(New media art, media art)は、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。」となっている。

文化庁が2001年に制定した文化芸術振興基本法では
「映画,漫画,アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」
をメディア芸術として扱っている。"


"メディアアートとは 、ビデオやコンピュータ技術をはじめとするテクノロジーに触発され生まれた芸術作品のことを一般的にさしているが、はっきり決まった定義のない新しい分野なのでちゃんとした定義という定義はなくかなりの広義で使用されている。
メディアアートの特徴のひとつとして、鑑賞者自身が作品に何らかのアクションを働きかけ、作品または他の鑑賞者とコミュニケートしながら楽しむことができるという点が挙げられます。
引用元「http://allabout.co.jp/gm/gc/210303/」
"
"メディアアートとは

 メディアアート(ニューメディアアート)は、20世紀中盤より広く知られるようになった、
 芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新しい技術的発明によって生み出される芸術の総称である。

 特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、
 また、そうした新技術の使用を積極的に志向する美術である。
 
 この用語は、その生み出す作品(伝統的な絵画や彫刻など、古い媒体(メディア)を用いたアートと異なる
 新しい媒体(ニューメディア)を使う作品群)によってそれ自身を定義している。(Wikipedia)"

メディアアートとは、20世紀中盤より幅広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され、使用を積極的に志向する美術である。特に日本におけるメディアアートの発展は特徴的で、海外におけるビデオアート、現代美術の発展と同様美術・芸術を背景とするアートとは別に、コンピュータゲームや電子玩具といった姿で実現したり、インターネットの普及からリアルタイムコンピュータグラフィクス等を専門にする人もいて、アーティストらとともに「新しいメディア」をフィールドとしたアートワークを具現化してきた。引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
"コンピューターの性能の飛躍的な向上と社会への普及を背景に登場した芸術表現です。

コンピューター・グラフィックス(CG)などのデジタル映像や音響を組み合わせたマルチメディアアートや、鑑賞者が触れたり、動いたりすることで作品自体が変化するインタラクティブなアートなどが生まれています。

1980年代より人工知能技術を利用したアートが注目され、年を経ることにメディアアートに関わる機関、展示会、大学が生まれてきました。
[コトバンク,検索ワード:メディアアート]

"

メディアアートとはYahoo百科事典では絵画や彫刻といった伝統的な表現形式とは異なり、メディアテクノロジーを駆使した新しいタイプの美術作品の総称である。具体的な表現形態にはビデオアートやコンピュータグラフィックス、サウンド、インスタレーション、ライトアーツ、ネットアートなどが挙げられる。メディアアートの歴史はWikipadiaには起源はジエトロープ、プラキシノスコープ、エドワード・マイブリッジのズーブラキシスコープなど19世紀後期の写真発明の変革までさかのぼることがる。1960年代になると映画の歴史から分岐を起こしビデオアートやフルクサスのマルチメディア作品、パフォーマンス作品などが生み出されることになった。

"メディアアートは、コンピューターの性能の飛躍的な向上と社会への普及を背景に、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピューター技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。コンピューターの普及で変容しつつある現代人の知覚の様式や身体感覚などを表現するのに適しているが、現状はテクノロジーが先行し、その技術的解説や応用の域を超えていない作品も多い、という指摘がある。引用:ウィキペディア、コトバンク
 
 "

"課題1
1.メディアアートは何か
 ニューメディアアート、メディアアート(New media art, media art)は、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
 メディアアートは、その生み出す作品(伝統的な絵画や彫刻など、古い媒体(メディア)を用いたアートと異なる新しい媒体(ニューメディア)を使う作品群)によってそれ自身を定義している。 (Wikipediaより引用)
"



"20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、または新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、こういった新技術の使用を積極的に志向する美術のこと。
具体的な表現形態として、ビデオ・アート、コンピュータ・グラフィクス(CG)、サウンド・インスタレーション、ライト・アート、ネット・アート(インターネット上に構築されるアート作品の総称)などがその範囲に含まれる。
類義語としてはテクノロジカル・アートやインタラクティブ・アートが挙げられる。

Yahoo!百科事典(http://100.yahoo.co.jp/detail/メディア・アート/)
wikipedia メディアアート(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88)
より引用"
"メディアアートとはコンピューターの性能が向上し、社会に普及し始めた頃に広まった言葉で、新たな技術的発明によって生み出される芸術等の総称的な用語ある。そのジャンルは幅広く、デジタル映像と音響を組み合わせたマルチメディアアートや、、鑑賞者が触れたり、動いたりすることで作品自体が変化するインタラクティブアートなどの種類がある。最近では東京にメディアアートを紹介・展示するNTTのインターコミュニケーション・センターが誕生したり、文化庁のメディア芸術祭にて、アート部門が設けられるなど世間が注目する分野となっており日本の美術館・博物館ではメディアアートやメディアアート的要素を多く取り入れた活動を行なっているところも少なくない。


引用元
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.83.A1.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2.E3.82.A2.E3.83.BC.E3.83.88
コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88"
" ニューメディアアート、メディアアートは、20世紀中盤より広く知られるようになった、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語である。特に、ビデオやコンピュータ技術をはじめとする新技術に触発され生まれた美術であり、またこういった新技術の使用を積極的に志向する美術である。
 ニューメディアアートの起源は、ゾエトロープ(1834年)、プラキシノスコープ(1877年)、エドワード・マイブリッジのズープラキシスコープ(1879年)など19世紀後期の写真発明の変革までさかのぼることが出来る。 <引用元:wikipedia>"


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1-2 メディアート作品の例を上げて下さい.講義で紹介できそうなもの.. 悩む場合は「明和電機」について調べて下さい.
デジタルアート。完全にコンピュータで生成するものから、写真を取り込むなどして元の素材を用意したもの、マウスやペンタブレットを使ってベクトル画像ソフトウェアで描いたものなどが含まれる。

"明和電機とは、電気機器製作の中小企業を模したアーティストユニットで、作品にコンピュータなど先端技術は露出しないが、数多くの楽器や製品を世に発表している世界に代表する日本のテクノロジーアーティストである。
アートをプロダクトに落とし込むスタイルをとっており、やったもんがち、とったもんがち」という社訓のもと活動し、活動方針として「やりにげ」を掲げてもいる
商品は大別して魚器シリーズ、ツクバシリーズ、エーデルワイスの三つに分けられる。
魚器シリーズは自分とはなにかをテーマとした魚をモチーフにした物を指している。
ツクバシリーズは電動アナログ楽器で、100ボルトで動く電磁石やモーターを使い、実際に物質を叩くことで音を発生させている。
エーデルワイスシリーズは、最新シリーズで、女性が支配する架空の都市と美をめぐるストーリーを元に作られた作品群である"



"http://jp.diginfo.tv/v/11-0015-r-jp.php
暗い部屋の平坦な床にWiiリモコン内臓懐中電灯型デバイスで光を向け、そこに現れた影に触れて掴んだり投げたりなどして遊ぶことが出来る作品。"
"作品名:Gyorol
URL:http://gyorol.bascule.co.jp/

パソコンに写された水面にQRコードで認識させた自分のケータイで、釣竿に見立てて釣りが出来る。
※実際にやってみようとしましたが、エラーで出来ませんでした。

"
『文化庁メディア芸術祭』の優秀賞に選ばれた『サカナクション / アルクアラウンド』というミュージックビデオ。曲の歌詞が歩くスピードやカメラの角度によって分かる作品。
"純文学の世界をメディアアートに- 文字の触感

小説の中で書かれた風景や古典作品へのオマージュを視覚化し、
純文学とメディアアートの接点に迫る。通常は読む人の
イマジネーションに委ねられる文学作品の世界観、例えば
エッセーや短歌などのフレーズを視覚化する。"
"ジェネレーティブアート。アルゴリズム的手法で構築される芸術作品。
例としてはhttp://bjork.com/"
明和電機の魚器シリーズ、ツクバシリーズ、ARCLASSYシリーズ、など
"明和電機は中小電機メーカーを模した芸術ユニット。作品制作のほかに、音楽活動、舞台パフォーマンス、タレント活動もしている。
"

"作品例:「trails world」
・メディアアート作品「trails world」は、美しい軌跡の世界をインタラクティブに描き出すことができるインスタレーション作品であります。体験者は、インターフェイスとなるペン型のデバイスで、それぞれ異なった芸術的特徴を持つ軌跡のテーマと描画色を決定し、映像が映し出されたテーブルに対し描画操作を行います。描かれた軌跡は、テーマによって異なるインタラクティブCGの動きと、それらを演出するサウンドを伴って、様々な形態や色彩を持った軌跡の世界を構成します。描画過程において体験者は幻想的な美の世界に引き込まれてゆきます。

引用元)芸術科学会論文誌 vol.1 No.4
"
明和電機の魚器シリーズ:ハリセンボンブ


"明和電機とは・・・
製品は3つに分かれる
1:「魚器(NAKI)シリーズ」
「自分とは何か?」をテーマに魚をモチーフにしたナンセンスな機械
2:「ツクバ(TSUKUBA)シリーズ」
100ボルト電流で動く、ユーモラスな電動楽器
3:「アルクラシー(ARCLASSY)シリーズ」
明和電機製品による新しい暮らしの提案を行う

これらのシリーズに登場するナンセンス・マシーンは背景は全く違う意味や仕組みを持っているが、ちょうど人体のなかで働く別々の期間が強調するようにお互いに深く結びつき全体として一つの巨大なナンセンス・マシーンを構築している。"


すぐに思いつくのは、テレビゲームやビデオゲーム全般です。単純にコンピュータを使用するという理由ですが、コンピュータを作った人が人々を楽しませる為のものを作ったことから、これがある種のメディアアートの起源の様に感じます。近年制作されるアニメもメディアアートだと思います。昔は手描きというアナログな手法でしたが、最近はデジタルでの描画や3D等、新しい技術が取り入れられていると思います。後は、最近知ったサイトで、トロコイド曲線が簡単に作る事が出来るサイトがあり、感覚的に幾何学模様を表現でき、これも一種のメディアアートだと思います。http://www.myoats.com/

"明和電機より「ELT(Electrick Lightning Tools)」
8×8の電球を動かして図を描く電光掲示板"

"明和電機とは?
明和電機は土佐信道プロデュースによる、中小電機メーカーを模した芸術ユニット。
所属事務所は吉本興業。
作品制作の他、音楽活動、舞台パフォーマンス、タレント活動も行っている。"
"オタマトーン(明和電気)
Lake Awareness(森脇裕之)"
"「マシュマロスコープ」2002年 岩井俊雄
 白いマシュマロのような形をしたオブジェについたモニターを覗くと、まわりの風景や人がまるで時間が進んだり戻ったりするように変化したり、動いている人やものの形がゆがんだりして映つる。これは撮影された映像をコンピュータに貯え、時間軸をリアルタイムに操作、変形したものである。

参照元
・Wiki
・ICC ONLINE
"
"ライト・アート
人工好戦をさまざまな手段によってコントロールし、それを直接人間の視覚へと結びつけて表現を行う美術。1920年ころから実験的な作品が作られ、とくにホモリ・ナギ((ライト・スペース・モデュデータ))は光里の反射、投下、屈折などの性質を機械的にコントロールする装置として有名。
他に舞台装置、実験映画などでも光の芸術が追求された。光里の演奏装置(クラビラックス)の発明者ウィルフレッドも先駆者の一人である。
"
"岩井俊雄作  「マシュマロスコープ」

白いマシュマロのような形をしたオブジェについたモニターをのぞくと,まわりの風景が,時間が行きつ戻りつするように変化したり,動いている人やものの形がゆがんだりして映る。
これはビデオカメラで撮影されコンピュータに貯えられた映像とその時間軸を,リアルタイムに操作,変形したものである"
"「TOKYO STATION VISION」
東京駅丸の内駅駅舎保存・「復原」工事の完成を祝うイベントとして、東京駅舎をまるまるスクリーンとして使い、プロジェクションマッピングという技術を使ったマルチメディアアート作品。
URL:http://www.youtube.com/watch?v=xHsbdq8GtKc
"
"明和電機の作品「ギターラ(仮称)」。
製品説明ではTsukubaシリーズという、100ボルトで動く電磁石やモーターを使い、
実際に物質を叩くことで音を発生させる電動楽器作品群のうちの1つとなっている。
このTsukubaシリーズには以下の3大要素があり、

1.100ボルト電流を使う、
2.発音するのにスピーカーを使わない(アコースティックである)。
3.演奏方法がバカバカしい。

ということを必ず作品に入れているそうである。"


"松村泰三「surface」とその構造
2003年、第6回「ロレアル色と科学の芸術賞展」で金賞を得た「surface(外面)」。
色感の成立原理そのものを巧妙に扱い、ライトアートを象徴する作品。
"
"
 例:CG(コンピュータ・グラフィクス) … コンピュータの内部で描かれた図形や絵の総称。
                       広く世の中に普及しているメディアアート。
"

オーディオアートのAA-8800T、ビデオゲームアートのGRAVITY DAZE、ソフトウェアアートのZNC browser等
"「Shadow touch!!」

平成22年度 文化庁メディア芸術祭の学生CGコンテスト受賞作品展で展示されたメディアアート作品です。
Wiiリモコンを利用して、視覚などの感覚をメディアを使って表現したものです。

[来た方向に光を返すことができる再帰性反射板でデバイスの向きを計測して、デバイスの動きと同期するような映像をリアルタイムに生成してプロジェクターで投影している]坪倉 輝明 http://jp.diginfo.tv/v/11-0015-r-jp.php"

メディアアートの作品の例として興味を持ったのは「Shadow touch!!」と呼ばれるメディアアートです。「Shadow touch!!」は平成22年度文化庁メディア芸術祭の学生コンテスト受賞作品展で展示されていたWiiリモコンを使ったインタラクティブアート作品で、視覚などの感覚をメディア技術を使って騙す事で不思議な感覚を楽しめる作品です。youtubeに流れている「Shadow touch!!」の紹介映像を見ましたが、映像の中では床に立方体の形をした影が複数存在していました。、指に特殊な装置を付けているので指で立方体の影を持ち上げる動作を行うと影が大きくなるので、まるで掴んで持ち上げているように錯覚させるようにしたり弾けば立方体の影は弾いた方に移動して他の立方体にぶつかったりなどします。

メディアアートの形態の一つに、インターネットアートというものがある。インターネットアートは、インターネットを主要な媒体とする計術及び文化的創作活動のこと。具体的な形態としては、芸術的なWebサイト、電子メールアート、芸術的インターネットソフトウェアなどがある。作品の例として挙げられる「明和電機」のホームページもこれに当てはまると思われる。「明和電機」は中小電機メーカーを模した芸術ユニットで、ホームページも芸術性に富んだものだ。そのサイトを一言で表すと、「リンクのついた書類」。中身は項目ごとにページが分けられており、項目のタブが付箋のように飛び出している。タブを選択すると瞬時にそのページが前面に現れ、Webサイトを見ているというより、書類の束を読んでいるような錯覚に陥る。

"2.コンピューターアートの例
 マウスの軌跡を記録するだけのお手軽コンピューターアートができる『IOGraph』
 http://www.lifehacker.jp/2010/06/100610iograph.html

"



"「プロジェクションマッピング」
プロジェクションマッピングとはプロジェクターを用いて空間と映像を合成し、新しい空間演出をするものです。

例) http://www.youtube.com/watch?v=Tp2Z_RBcLPs&feature=related"
映像装置としてのピアノ  (岩井俊雄)
" 明和電機は、 土佐信道プロデュースによる、中小電機メーカーを模した芸術ユニット。所属事務所は吉本興業。作品制作のほか、音楽活動、舞台パフォーマンス、タレント活動も行っている。
「ARCLASSYシリーズ」
 ARCLASSYとは社長による造語で、「明和電機のある暮らし」をもじったもの。「デジタルの先にあるアナログ」「ナンセンスな道具」等をテーマに、明和電機製品による新しい暮らしを提案している。 <引用元:wikipedia>"


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・課題2「ラスコー洞窟の壁画」について
2-1 ラスコー洞窟の壁画とは何か? 事実を調べて書く

# Q.3
アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代の美術作品。1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。

"フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟の洞窟壁画。
15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜた黒・赤・黄・茶・褐色の顔料描かれていた。
"



"ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。"
"フランスのヴェゼール渓谷モンティニャック村近郊に位置する洞窟のことで、1940年9月ラスクー洞窟の近くで遊んでいた子供たちによって発見された壁画である。
洞窟の側面と天井面には様々な動物達(馬・山羊・羊・野牛・鹿・カモシカ・人間)や、幾何学模様の絵などが顔料を使って描かれていた。
顔料は動物から取れた物から土や樹脂などを混ぜて作られ、黒・赤・茶・褐色の色が確認されている。
これらは15000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれたと言われるが、この壁画には遠近法が用いられており、当時のアートの技術も随分進んでいたことが伺える。"
フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。先史時代(オーリニャック文化)の洞窟壁画で有名である。wiki引用
"
フランスの西南部ドルドーニュ県内、先史時代の美術作品が
壁画として書かれているのを、散歩していた子供達が発見した
この壁画は、スペイン北部にある世界遺産のアルタミラ洞窟と
同じ時期のものとされている。
洞窟の側面と天上面に、数百の馬、山羊、羊、鹿、かもしか、
人間、幾何学もの用の彩画等が500点も発見されている。"
ラスコー洞窟に描かれた壁画は、1940年、地元の村に住む子供たちによって発見されたものである。1万5千年前の先史時代に描かれたものであるとされ、獣脂や血を材料とし、様々な色の顔料を用いて、動物や幾何学模様が描かれている。
"ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。そのなかでも、黒い牛の絵の角には遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。
"
"ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。
ラスコー洞窟の壁画は、1940年9月ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。
地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面には、
数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。
これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
"

"・ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
・材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。
・無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。
・かつては大勢の観客を洞窟内に受け入れていたが、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年以降から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖された。現在は壁画修復が進む一方、一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は非公開とされている。

引用元)weblio辞書"
"フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟
地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。"


"ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代
(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。
これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。
洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もある。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。"


フランス西南部のヴェゼール渓谷の近くにある洞窟で、先史時代の洞窟壁画がある。洞窟近くで遊んでいた子供が発見し、壁画が集中して描かれている大きい空間がいくつもあり、動物や人間や幾何学模様など、彩画や刻線画が大量にあり、旧石器時代後期のクロマニョン人が描いた。顔料を使って描かれ、中には遠近法を用いた絵もあるが、絵画的空間として意識されてはいなかったようだ。昔は多くの見物人が来ていたが、二酸化炭素の影響で壁画が劣化したため、現在は閉鎖されている。

"フランスのとある村の近くにある洞窟に描かれていた絵。村の子供達が好奇心に駆られこの壁画がある洞窟に入った時に見つかったとされている。
描かれた絵の顔料は獣脂、血、樹液、赤土が用いられている。
一時期観光スポットとして有名だったが、それが災いして絵が急速に劣化。
現在は基本非公開となっている。"

"ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代の美術作品である。
これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。"
"ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代の美術作品である。1940年にラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかあり、洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。

引用「ラスコー洞窟-Wikipedia」"
 1940年にフランスで発見された洞窟である。中は数百もの動物や人間、幾何学や人の手形などが書かれていた。これらが描かれたのはおよそ15000年前のクロマニョン人によって描かれたものとされている。材料は赤土、木炭を獣脂、血、受益で溶かして混ぜ、黒、赤、黄、茶、褐色色の顔料を使われていた。また、これらの特徴的なものに遠近法が使われていることがあげられる。かつてこの洞窟は観光客を大勢受け入れていた観光地であったが、二酸化炭素や微生物により急速に劣化したため、1963年以降閉鎖された。
"ラスコー洞窟
フランスの西南部ドルドーニュ地方、ベゼール渓谷のモンティニャック村の近郊にある洞窟遺跡。後期旧石器時代に属するさまざまな衣装の壁画が発見されたことで著名であり、ある民ら洞窟壁画と並ぶ先史時代の美術作品である。1940年に地元の少年達によって発見。洞窟は主洞と奥洞、支洞からなる。
壁画には1~5メートルに余るものまであり、100点以上の動物が躍進的に描かれている。動物には数百の馬、バイソン、しか、厚毛サイ、ヤギ、かもしか、人間などが含まれており、この中には既に死滅したものもいる。これらは当時の人々が動物に依拠した生活をどのように送っていたかを如実に物語っている。そのほかに幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形などが存在する。材料として、赤土・木炭を獣の油や血、樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石などに貯蔵し、こけ、動物の毛、木の枝をブラシ代わりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてあり、絵画の空間としてはあまり意識せずに描かれている。
無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられる。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前のものより短く描かれている。これはそのほかの人・動物にも用いられている。
赤外線写真による精査、洞窟内堆積物中から発見された形象骨製品との対比などにより、壁画がマドレーヌ文化段階(後期旧石器時代終末期)に当たる事が判明した。木炭によるC-14年代測定では1万5517±900年前と出ている。この洞窟遺跡のあるベゼール渓谷の装飾洞窟群は1979年に世界遺産の文化遺産として登録された。かつては大勢の顧客を洞窟内に受け入れていたが、顧客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化した為、1963年以降から壁画の外傷と損傷を防ぐため洞窟は平刺された。現在は壁画修復が進む一方で一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは非公開とされている。
"
"ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟で1940年に地元の少年たちによって発見された。
壁画には1~5メートルに余るものまであり、100点以上の動物が躍動的に描かれてこれらの中には今は死滅したとされる動物も描かれている。
この壁画を書いた材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作り、顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。
壁画は岩の凹凸を利用し立体感を出したり、遠近法を用いる等高度な技術が使われている"
ラスコー洞窟はフランスの西南部にある洞窟である。先史時代の洞窟壁画が発見されたことで有名になった。この壁画は世界遺産にも登録されているアルタミラ洞窟に描かれている壁画と同じ先史時代に描かれた作品であり、長く枝分かれした洞窟内には側面と天井面に様々な動物や人間、幾何学模様の絵が500点もある。これらは15000年前、旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれたものと判明している。壁画には遠近法が用いられたものが複数存在する。
"Wikipediaによると「ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで
遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。」
となっている。
顔料は赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜて黒・赤・黄・茶・褐色のものを作っていたようである。こけ、動物の毛、木の枝をブラシ代わりに、または指を使いながら壁画を描いたと考えられている。
古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてあり、絵画の空間としてはあまり意識せずに描かれていて、遠近法を用いて描かれているものもある。

NHKで2009年に初回が放送された番組「知られざる古代文明Ⅰ ラスコー洞窟(どうくつ)にきらめく星座たち」によるとラスコーの壁画に描かれた動物や人は星座を表したものであるという説が考えられているそうである。"


ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である
" ラスコー洞窟の壁画は、先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品であり、1940年9月に近くの村の子供たちによって発見された。
  洞窟の側面と天井面(洞窟の上半部一帯)には、馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形などがあり、総計は500点にも上る。
  これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれたものだと言われている。
"

ラスコー洞窟とはフランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟でラスコーの壁画とはその洞窟に先史時代(オーリャニャック文化)に描かれた美術作品のことである。1940年にラスコー洞窟近くで遊んでいた子供たちによって発見され、洞窟の側面や天井面には、数百の動物や幾何学模様、手形等が15000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれた。材料は顔料が使用されていた。壁画のうちの一つに黒い牛の絵の角に遠近法が用いたれていた。観客の吐く二酸化炭素によって劣化したため、洞窟は閉鎖となった。
" フランス南西部,ドルドーニュのモンティニャック村の南方にある旧石器時代の洞窟遺跡です。
洞窟になっており、壁画には牛や鹿、馬などの動物が見事に描かれています。
この壁画を描いたのはクロマニヨン人と言われています。
そして現在は立ち入り禁止になっております。"

ラスコー洞窟の壁画は1940年洞窟の近くで遊んでいた子供達によって発見されたアルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代の美術作品である。洞窟の側面と天井面には数百にも及ぶ馬や羊、牛や鹿、人間の他にも幾何学模様の彩画、刻線画、人間の手形などが存在しており、調査の結果から約15000年前の旧石器時代後期にクロマニョン人によって描かれたものだとされている。材料は赤土、木炭などを獣脂や血、樹液で溶かして混ぜて黒、赤、黄、褐色などの顔料を作ってたとされ、絵を描くのには動物の毛や木の枝をブラシとして使用していた。技術としても遠近法が用いられているなどが用いられている。ラスコー洞窟のは実在しない生き物である一角獣なども描かれている。

フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟に描かれた、先史時代(オーリニャック文化)の洞窟壁画である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。

"
課題2
1.ラスコー洞窟の壁画とはなにか
 ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。(Wikipediaより引用)

"



"ラスコー洞窟の壁画は、1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。
無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。"
ラスコー洞窟とはフランスにある壁画のある洞窟で、1940年9月に近くの村の子供たちによって発見された。壁画には様々なものが描かれており、これらはクロマニヨン人によって描かれたものとされている。
" ラスコー洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。先史時代(オーリニャック文化)の洞窟壁画で有名である。
 ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代(フランコ・カンタブリア美術)の美術作品である。これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあった。これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
 材料として、赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。
 無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。

<引用元:wikipedia>"



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2-2 何のために描かれたのか自分なりのエピソードを考えてきて下さい(千文字以下)

それは記録。家畜の飼育方や獲物の狩り方。また、肉の調理法や骨、角の加工方など無駄なく使い切るための知恵や技術を劣化させず形にして後世に残すために記されたもの。万が一、知識や技術を持った者達が何らかのトラブルにより一斉に居なくなった時、残された者達が生きていけるように用意した保険。子供は親から「どうやるかは自分を見て覚えろ。しかし、自分に何かあった時は、洞窟に行け。そこに生きる術を残してある」と言われて育つ。そして、流行病や狩りの失敗などで全てを教える前に親が死んだ子供は洞窟へ行き、そこでまだ見ぬ知識を得る。そして今度は、その子供が自分の子供に知識を伝えていくのだ。

"手先が器用で狩りがうまい男がいた。
彼は、結婚していたが子供が生まれず、そのまま年老いて、狩りにもいけなくなり妻に先立たれてしまう。
それからは、狩りの道具などを作って生計を立てていたが、ある日、若い親達から子供への狩りの仕方を教えるよう頼まれる。
快く引き受けた男だったが子育てしたことのないためうまくいかず困ってしまう。
しかし、動物を見たことがないこのために動物の絵などを描いてあげたところ、好評で、自身の狩りの工夫や苦労したことなどを絵に描き、説明していく。
ただ、地面に描くとすぐに消さなければならない問題が生じてしまう。
そこで、洞窟の壁を利用することを思いつた男は、自身がいなくなっても、狩りの工夫や自身が狩りで苦労した点などを、絵で後世に残せないかと思いつき、授業をしつつ壁画を描いた。"



"その洞窟の近くで暮らしていた集落があった。
その集落では狩りなどをして食事を取り、またその食べ残しや骨を周囲の動物の縄張りに捨てることで動物たちの食事も取らせ、食物連鎖を損なわないようにしていた。
その洞窟には今まで食べた動物たちと、病や狩り、寿命などで倒れた仲間たちを覚えておくために、絵を描くことにした。
牛や鹿、馬、山羊などの食糧として命を頂いた動物を描き、そして倒れた仲間たちの魂を奉るために人の絵を描き・・・。
次第に増えていったそれは、周囲に食糧がなくなってしまい移住を決意せざるを得なくなるまで増え続け、最後に残ったものたちの移住間際の手形を残し今に至る。"
"大昔ラスコー洞窟に30人程の大家族が住んでいた。
毎日男たちは洞窟から出て獲物を捕って帰り、女達はそれを料理するという平和なサイクルを繰り返していた。
ところがある時、大雨や台風、感染病や干ばつなどの災害が続き、獲物が思うように獲れなくなってしまい、困り果ててしまった洞窟の長は空腹の子供達が動物の骨や石に水や動物の血で床や壁に落書きをしているのを見つける。
それを見た長は、神や信仰などが無い時代に唯一の願いを託す存在である動物達の絵を壁一面に描き、動物達にこの思いを届けようと考え、壁一面の動物達の絵を描き、動物達を祀り、再び狩りが出来る事を祈ったのであった。"
調べてみると先生に見せていただいた画像以上の沢山の壁画がラスコー洞窟にあることがわかった。そして、血が顔料として使われているということはもわかった。つまり、なぜ、このラスコー洞窟の壁画がここに書かれたというと、部族間の争いや戦争を描いたものではないかと推測する。大きさ形の違う牛や逃げるような鹿を人と見立てていたのではないかとも思う。さらに洞窟の隠れていたところにあったということは、惨状を後世に残すためにわざと見つかりにくい場所に描かれたのではないかとも思う。
"その時間は一日にほんの数分間しかない。日が傾きまさに沈もうとする
わずかな時間のみ、この洞窟には光が届く。火の技術をまだ持たない
彼らにとって、見たこともないほどに鮮やかな赤色に照らされた洞窟
の中は、何よりも神聖な場所に思えた。その時間が来るたびに
彼らは一同に集い、数分間の安らぎの時間を共有していた。
ある日、彼らの一人が病に倒れた。立つ事もままならず、ただ地に伏して
か細く呼吸をするしかできないほどの病だった。その翌日、また一人が病に
倒れる。同じ症状の病だった。その病に侵された人で、生き残ったものは
いなかった。最期の最期まで苦しみ続け、顔を強張らせて死に至るその病に
彼らは次々に侵されていく。まだ動けるものは、必死でみなの分の食料を
調達し、あの神聖な洞窟に祈りをささげ、少しでも命がながえるよう尽くした。
だが、病は全てを蝕んだ。気づけば周囲の動植物も病に侵され、緑の大地は
殺伐とした生き物のいない土地と化していた。病は、あらゆるものの命を奪い去った。
そして遂に、一人の少年を除いた全てのものが病に倒れた。
何も出来ない彼は地を這い苦しむ人々を眺め、ただ涙を流すことしか
出来ない。少年は在りし日の平穏な日々を思い返す。羊が群れをなして歩く丘。
颯爽と風を切りながら馬や鹿が走りぬける草原。狩りを済ませて帰って
来る大人たちの笑い声。みなで集い語り合った安らぎの時間。
気づけば少年は洞窟の前にいた。ちょうど日の沈む時間、今まさに
洞窟は赤く染まる。彼は願った。あの平穏な日々に戻りたい。と。
それから毎日、少年は洞窟の中に絵を描いた。楽しかった日々を思い出しながら、
生命力に溢れた動物たちを思い出しながら、忠実に記憶を洞窟の壁に描いた。
天井までもを埋め尽くすほどの絵を描いた頃、ついに少年も病に侵される。
思うように体が動かない中、最後の力を振り絞り、彼はあの時間の訪れを待ってから、洞窟を岩でふさいだ。
このせめて絵の世界だけには、病が届かないようにと願いを込めて。
かくして壁画は外気に触れることなく、当時の空気と少年の願いを閉じ込めたまま、発見される現在に至るのであった。
"
1万5千年前ともなれば、今は存在するあらゆるものが存在していなかった頃のはずである。本もない、電話もない。そもそも文字さえ存在していない時代で、情報を伝える術というものがこの頃は口伝と、この壁画だったのではないだろうか。ある情報を不特定多数の人間に一様に伝えるために編み出した技術ではないかと考える。
"一人の絵を描く男がいた。その男は他の者たちとは異なり、狩りなどもせずただひたすらに絵を書いていた。なぜならその男は生まれつきの病によって体の自由を奪われていたからだ。自由に走り回ることも、しゃべることもできず。彼に許されたことといえばただ絵を描くことでしかなかった。
男には子供がいた。本来なら親から狩りの手段を教わり、言葉を教わり、村の人々と楽しく生活を共有していくような年頃の子供だ。しかし、男にはそれらの生活していく上で必要な知識や知恵、技術などを教えるための術を持たなかった。子供を村に住む他のものに引き渡すことも考えたが、何も仕事のこなせない男は村でも孤立した存在で合ったためそれも難しいように思えた。唯一、そんな何もできない彼を愛した一人の女がいた。しかし、その妻も子供を産んですぐに他界してしまった。残されたのは何もできない男と一人の子供だけであった。そういった中で、何とかして我が子に生きていくための術を教育していく必要があったのだ。私のような何もできない人間になってほしくないという一心で。
そこで思いついた方法が絵を書いて教育するといったものであった。言葉を持たない彼が具体的に物事を伝えるにはこの手段が最良であると考えたのだ。彼は無力ではあったが無能ではなかった。この方法によって彼の子供は立派に成長し、今となっては村でもトップクラスの実力を持つ狩人として活躍していた。そのことによって、村の中で疎まれていた彼も徐々に人々に受け入れられ始め、その功績として今までに描かれた絵は丁重に保存されることとなった。これが後に先人の知恵として末代まで語り継がれることとなり、いわゆる「教科書」として今に残り続けていたのである。
"
"父は今日も洞窟で絵を描いている。いつも仲間と狩りに出かけ帰ってきたら洞窟に籠り絵を描いている。僕はそんな父がわからない。そして次の日もまた次の日も狩から帰ってくると洞窟に籠り絵を描いている。
ある日父が狩から帰ってくると仲間が死んだと言っていた。そしてまた父は洞窟に籠った。僕は母になぜ父は洞窟に絵を描いているのか聞いた。そしたら母は祈っているのよ。と、言った。意味が解らなかった。
父が狩に行き洞窟に絵を描きに行く。その行為が数年に渡り続き僕が大人になり父は年老い狩に行くのが僕とその仲間たちに代替わりした。だがしかし父は絵を描くことだけはやめなかった。飯を食べ洞窟に行くそんな習慣になっていた。だが昔より父と話すことが増えた。今日は何を狩ったか、仲間は無事だったか、そんなことばかりだったが嬉しかった。その2年後父は死んだ。僕と母は悲しんだ。その時ふと洞窟のことが気になり僕は洞窟に向かった。初めて入る父の洞窟に戸惑いはしたが中を見て僕は声を失った。そこには今まで狩ってきた動物達の絵や死んでいった仲間の絵が描いてあった。そんな時ふと昔母の言った言葉を思い出した。
祈っている。その意味がこの洞窟を見て理解することができた。その時僕は心に誓った。この洞窟の祈りは僕が父から受け継ぐべきものだと。
それから僕は絵の練習を兼ねて洞窟に籠った。もちろん狩にも出た。その狩で狩った動物、死んでいった仲間たち、それらを描いていった。
1年後僕は結婚した。子供が生まれた。そのうれしい気持ちを絵にした。日に日に絵を描くことは祈りのほかに感謝も含まれていくようになった。だが、父と僕の違いはそこだけではなかった。私は子供に自分が洞窟で何を
しているのかを教えて、一緒に絵を描いている。子供も小さいながら理解してくれている。この子も将来は私と同じこと想い受け継いでくれるだろう。
今日は大きな狩がある。何人の仲間が死ぬかもしれないだから私は仲間を洞窟に呼んだ。そして洞窟に手形を付けた。皆でここに戻ってくるという誓いをたて狩に向かった。
そして、明日も僕は洞窟に籠る。"

・壁一面に描かれていたのは、彼らの狩りの記録。獲物が狩れるのは毎日というわけではありません。時には、一匹も捕らえられない日もあります。どうして捕らえられなかったのか?何がダメだったのかを壁に描き、次の狩りに備えていました。遠近法を用いることにより、自分たちと獲物の距離感を出し作戦を練っていたのだと思います。そうして子孫たちに狩りの知恵を伝えていったのでしょう。
"この壁画は、日々の生活の風景を残すためにあるのではいだろうか?
その時代の人々がどんなことをしていたか、どういう人物がいたかを、のちの時代に伝えようとしたのではないだろうか"


"ラスコー洞窟には、父、母、兄、弟の4人の平凡な家族が住んでいた。父が狩りに行く際に現在で言う教科書のように、絵で子供たちに教えるため壁に書いて説明していたと思われる。また、狩りは命に関わることもあるので、よりわかりやすく距離や位置を正確に書いていたのだろう。そのために自然に遠近法のような技術がつかわれたのではないか。
父は、子供たちにもそうだが現在だけでなく、未来にも生きていく方法を伝えていくために、壁に描いて伝えていこうとしたのではないか。もしくは、子供たちに教えようと書いた絵がいつも以上に上出来で、この先の未来にも自慢しようと残して置いたようにも思える。"


余り深く考えず、すぐに他者へ知らせるためのものだと思いました。恐らくこの頃は、生きること自体に全力で当たらないと、生きていけなかったと思うので、狩りや安全のための教育などの理由で描いていたと思います。ほかに思いつく理由は、記録するために描いていたと考えます。どこに何が在る居るなど、入手した情報を忘れないよう、その情報を絵として壁に残し、自他がそれを確認できるようにしたとも思います。

"これは遠い昔の話。ある日、洞窟の奥に多くの人が集まった。
彼らはとある部族の者であり、ここに集まったのは彼らの存亡に関わる事が起こったからだ。火で照らされた洞窟の壁には、二頭の牛が描かれていた。どちらの牛にも勇ましくも恐ろしい角が描かれていた。
「族長。つまりこいつが俺達の仲間を?」一人の男が絵を見て言った。
「そうじゃ」族長と呼ばれた、長い髭を三つ編みにした老人は答えた。
「もう話を聞いた者をおるじゃろうが、改めてこの場で言う。この牛の番がわしらの仲間を皆殺しにしたのじゃ。」族長は静かに、そして内に仲間を失った事に対する激情を込め、そこに集まった人に伝えた。事の経緯は昨日の狩りが発端である。獲物の狩りをしている最中、突然二頭の牛が狩場に入って来た。牛は明らかに人間へと狙いを向け、襲い掛かって来た。極めて凶暴だった。この牛の介入によって、この部族の者は殺され、生き残ったのは族長を含めた僅かな生き残りであった。そして翌日、族長は部族の者を集めて昨日の惨劇について話した。「族長、もしかしてこの牛を狩るのですか?」さっきとはまた別の男が尋ねた。「そのつもりじゃが?」族長は即答した。「私はやめといた方がいいと思います」その男はこう答えた。「なぜじゃ?」「族長の話を聞く限り、その牛は我らに対して襲ったという事になります。つまり、これは動物達を多く狩っている私達に対して、大自然から送り出された使者なのではないでしょうか?もしそうだとするならば、どこかに移住するなり狩る獲物の量を減らす等すれば、この牛もいずれは襲って来なくなるのではないでしょうか?」族長はその話を聞いて考え込み、そして口を開いた。
「そうかも知れん。じゃが我らは仲間の無念を晴らさねばならない。そうしなければ、死んだ者達が浮かばれないじゃろう。」族長の決意は変わらず、皆もそれに同調した。牛の番を倒し、命散らした一族の者の為に、族長は一族の精鋭とも言える益荒男と共に、7人にも満たさない数で惨劇が起きた狩場へと行った。この話がどのような結末が起きたかは私にも分からない。族長とその仲間は敵討ちを果たせたのか、それとも逆に殺されたか、そしてその一族は滅んでしまったのか、残された少ない資料からこれらを読み取る事は出来ない。"

"ラスコー洞窟は何のために描かれたのか、自分なりのエピソード
個人的にはラスコー洞窟の壁画は、今で言う日記みたいなものが美術的なものに変わったものだと私は考えます。
当時暇をもてあました奴が、暇つぶしに昨日狩った獲物を壁に書き始める。
狩りなどで倒した獲物を壁画に描いて記録し、自己満足に浸っていて、その内みんなが書き始めるようになる。
みんなが描き始めると、描くものに個人差が出てきて、「俺の方が上手く描けている」などの競争意識が生まれてくる。
そして今までは単純に日記として書いていたものが、どうやったら上手く描けるかなど、美術的なものに変わり始める。
書くから描くへ、日記から美術的なものに変わっていって描かれたものではないかと私は思います。
"
1つの家族があったとする。親は狩りをし、子供は洞窟で待っていた。とうぜん子供もいずれは狩りをしなければならない。子供に狩りを教えるため父が狩から帰ってきて我が子にどのように狩りをしたかを教えていたのだろう。そのときに言葉だけでは伝わりづらいので壁に絵を描きながら教えていたと思われる。そこで教わったことは将来子供たちが狩りで実践しなければならないし、彼らに子供が出来れば父と同じように我が子に狩りを教えなければならない。そのとき、父の描いた絵を残しておけば便利だし、足りないところがあれば描き足すなどして教えていけばよい。そうして絵は徐々に増え、残されていったのだろう。
" 例えば、人類がほぼ資源を使い果たしてしまい、動植物も枯れ果てて全滅してしまうほどの未来に、誰かがタイムマシンを開発して残った人類が過去へ逃げたとする。その人々が自分たちのいたような未来と同じことを繰り返さないために原始的な生活を信仰するようになり、何代か世代が変わったころのこと。すっかり未来から来た人々の子孫だということも忘れた人々がかすかに残った技術と文化を自分たちの子孫へ残すため、身近にあるものを元に様々な技法(顔料の作り方や遠近法、または未だに見つかっていないオーパーツ)を残すために作られた洞窟。
・・・的な?
"
"当時、王と呼ばれる偉大な存在がいた。
自ら率先して狩りに赴き、彼が獲ってきた獲物は誰よりも多く誰よりも大きかった。
そして、狩りに赴けない多くの女子供にそれを分け与える心優しき王だった。
だが彼には誰しもが抱えるであろう問題に直面していた。
彼には3人の息子がおり、自らの持ちうる技術を全て託そうとするも、実際に全てを教えるには狩りの現場に連れていかねばならない。
まだ幼い彼らを連れていく訳にはいかないが、狩りの基本を叩き込まねば早くに死んでしまうだろう。
どうしたものかと狩りへ向かいながら考えていると、彼はその道中に何かを壁に行っている人物を見つけた。
興味を持った王は手元が見えるように位置取りその人物を観察し始めた。
その者が手に持っていたのは苔と、束になった動物の毛。普段見慣れたそれとは違い毛先には別の色が付着しており、その者は一心不乱にその色を壁に付着させていった。
しばしそれを眺めていた王は気付く。描かれているのは自分であることに。狩りで先頭に立つ姿、それを皆に分け与える姿、そして――自らを殺そうとした者を、この手で撃ち払った時の事。

「これはなんだ?」
「“絵”だ。言葉じゃわかんねーもんをこうして描けば、誰が見ても一発で分かるだろ」
気がつけば、王はその人物の隣に立ち、問いかけていた。
男は先程からの気配に気づいていたのか、はたまたそんな事はどうでもいいのか、顔を向けることなく腕を動かし続けた。
「…この右端の“絵”とやらは、誰かが人を殺したものか」
「そうさ。俺の友はな、狩った獲物が大きいから、多いからって皆にそれを分け与える王が気に入らねえからと喧嘩吹っかけたんだ。止めても聞かねえ聞かん坊で、あっという間に殺されちまった。皆があいつを忘れても俺は忘れねえ。…その為に俺は、ここに描いてんだ」
「忘れないさ…。彼が、私に全てをぶつけてきたときの事は、二度と」
そこで男は初めて、王の顔を見た。
王の頬に一筋の涙が零れる。
これほど心優しき者を見間違える事こそない。
「……あんた、」
「頼みがある」
「…なんだ?」
「絵を教えてくれないか…?」

王は男から絵を教わり、己の住居に己の全てを書き連ねた。
今まで自分が狩ってきた物を。
そして生きていくための全てを、忘れてはならない事を、自らの手で。
――己の罪を、記憶と共に残す為に。
"
"ラスコー洞窟の壁画について自分は狩りの対象の動物について描かれたものだと考える
当時、生きていくためには動物を狩りその肉を喰らう必要があった。
しかし、狩りは必ず成功するわけではなく獲物が見つからないことがあれば、発見した動物に逆に返り討ちにされることがあった。
そこで狩りの成功率を上げる為、自分の知ってる動物の特徴を壁画に描き子供や他の仲間に伝えていくことにした。
同じ動物を1箇所に集めて書く事でその動物が群れで行動することを表し、
複数の動物を大きさを変えて描いたり、逃げる動物と追う動物を描く事で
動物の強弱や食物連鎖の上下を表した。
この壁画は遠近法が使われているのだが、これもいかに動物の外見的特徴を正確に描く為、もしくは攻撃的な動物を近くに描き、臆病な動物を遠くに描くことで動物の凶暴性を絵で示すために使われたのだと考える。
また、この壁画には一角獣や半獣半人等と存在しえないような動物が描かれている。
これに関しては恐らく未知の動物に怯え、それを想像で描いたのではないかと思う。
それまではある動物が最強だと思っていたとする。
しかし、ある時最強だと思われていた動物が死んでいるのを発見する。その死体から人ではなく動物に殺されたのだと判断するが、自分たちはこの死んでいる動物が最強だと思っていたのにさらに強い謎の動物がいたということを知る。
そしてその謎の動物がどんな姿をしているか想像し、その姿を危険種として壁画に描くようになった。こうすることで自分たちの知らない強い動物がいるということを意識し続けたのではないかと思う。
"
最初に考えたのは、塗料の中に血が含まれていたので、狩猟の際狩った獲物の血を使ってその絵を描いたのではないか、というものだが、調べると絵画の中には人間も含まれているので、カニバリズムの風習でもない限りこの考えはないだろうという結論に達した。そこで考えたのは、この洞窟は一人あるいは少人数のヒトが、偶然見つけた秘密の空間なのではないか、そして描かれている壁画はいわゆる絵日記なのではないかというものである。例えばこの洞窟を見つけた子供たちのように、壁画を描いた=洞窟を見つけたのも子供の、好奇心の強いクロマニョン人とする。彼は洞窟を見つけたあと、「今日はお父さんが一際大きな牛を狩ってきた。田中さん(仮)とこのお父さんの牛よりも角が一回りも大きくて鼻が高い。そして美味かった」のような日常を洞窟に壁画として書き記していたのかもしれない。
"私は暇つぶしの為に壁画を描いていたのでは無いかと考えた。
大人が狩りにいっている間は暇なので、その間待っている子供や大人などが洞窟の中で記憶にある動物や人間、あるいはその日に食べた動物などを描いていたのではないかと思う。
また、遠近法を用いているということは、より正確に描こうと考えていると取れるので
絵を描いてどっちが上手いか、面白いかを競って遊んでいたのではないかとも思う。"


あるところに、仲の良い男女がいたのだがちゃんとした言語が確率されていなかったためコミュニケーションが取りづらかった。そこで男は考えたのだ、絵を書いて伝えればいいのだと、それからというもの絵を通じてコミュニケーションをとって仲を深めていったのだがある日男が狩りに出かけたまま帰って来なかった。残された女は悲しみにくれていたが男に教えてもらったことを多くの人に見て欲しいと思い絵を守っていた。現代この絵が私達に見えるのはその女の努力なのかもしれません。
" そもそもラスコー洞窟は、人工的に作られた子供向けの遊具である。
 15,000年前、クロマニョン人は現代の科学では認識することさえできないエネルギーを利用した文明を築いていた。
 石器類はエネルギーを効率よく利用するための媒体であり、それ自体に機能性を求めてはいなかった。
 この洞窟も、その実態はエネルギーを蓄積して壁面に充填し、特殊な塗料で描かれた絵や図を動かす機能を持つ人工物である。
 また、この塗料は壁面が絵で埋め尽くされないように、一定の時間が経つと溶けて流れ落ちた。
 子供たちは、壁面に大小さまざまな絵を描いてはそれが動く様を眺めて楽しんでいたのである。
 ある時、この洞窟周辺のエネルギーが枯渇し、洞窟がその機能を発揮できなくなった。
 しかし、大人たちの手でこれを取り壊そうとしたところ、子供たちがその存続を望んだために保存されることになった。
 そして、立ち入り禁止となる前日に普通の塗料を使い、消えない思い出を残すために様々な絵が描かれた。
 それらの絵を完全な状態で保存するために防腐・防酸化処理が施され、この洞窟は閉鎖された。
 ラスコー洞窟の壁画は、過去から現代に至るまで残された巨大な落書き帳なのである。
"

かつて先史時代にクロマニョン人の集落があった。彼らはラスコー洞窟の付近に住んでおり、雨が降ったり、危険な動物がうろついていたりした時は洞窟に隠れ、身を潜めていた。集落では男は肉を得るため狩りに出かけ、女子供は家事や木の実集め等とそれぞれ与えられた役割を果たしていた。集落に一人の若い青年がおった。彼の名は仮に与作と名付ける。与作は男であり、動物を狩るものなのに狩りに出かけては一頭も獲物を狩れず、それどころか無抵抗な小動物を見つけては集落の近くにある洞窟で自分の飯をいくつか与え、飼い慣らしていた。与作は動物が好きだった。だが、集落は狩猟して生活をしているので動物を飼うことなんて当然許されることではない。与作は集落の皆には気づかれないよう密かに小動物のもとへ行っては餌を与え、遊んでいた。しかし、そんな楽しい日も長くは続かなかった。与作は憧れていた女に小動物を飼っている秘密を明かしてしまった。女は直ぐさま集落の皆にこのことを告げ口し、皆は洞窟へ向かった。そこには何も知らず楽しそうにしていた与作と小動物がおったが皆を見て与作は小動物をかばうように抱えた。狩猟のリーダーであり与作の父親でもある男は与作から小動物を引き剥がすと、小動物に謝罪をし、右手に持っていた石斧を使い、一撃で頭を切り落とした。周りはどうあの肉を食うか話あっていたが、父親は与作の好きなようにさせろと言い、皆は洞窟を後にした。与作は必死に小動物の頭と胴体をくっつけようとしたが血が滴るだけだった。壁に手をつけ嘆いていた与作は血で自分の手形がついていることに気づいた。与作は止まらない涙を拭わぬまま、血で小動物を描いた。その日から与作は狩りで失われた命を洞窟の壁に描き続けた。生きるためとは言え、自分が殺してしまった動物達を。それから幾年が過ぎ、与作も父親譲りの狩人になった。だが、彼は決して自分が狩った動物達の事は忘れないようにしている。そのためにも彼は今日も描き続けた。集落の近くにあるラスコー洞窟の壁に向かって描き続けた。
"自分なりに二つほどエピソードを考えてみた。

1つ目はクロマニヨン人は動物を生活において重要なものと考えていたのではないか思うエピソード。
動物を食糧として狩り、生きるために食していたため感謝をしていた。
その感謝の意を込めて洞窟へ壁画として残していったのではないかと思う。

2つ目は動物を恐れていたというエピソード。
当時狩りを行うことは「生きること」であったと思う。反対に狩りに失敗して死に至る者もいたと考える。
このことを考えると動物を恐れ、それを歴史的に残していこうとする目的で壁画に残していったと思う。
またクロマニヨン人はラスコーに「一角獣」なる架空の生き物も描いている。動物に対しての恐れが表れていたと考える。
"

"村の男達は食料の確保のために毎日のように狩に出かけ、女達は村で家事や子育てなどをする時代。
そんな時代のある村に生まれつき身体が弱く、肉付きも良くない青年がいました。狩に行くことのできない青年は常にバカにされており、村でも肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。男達にはバカにされ、女達からは呆れられ、邪魔者扱いさせて青年には村に居場所がなかったのでした。しかし、村を出ることは狩のできない青年にとって自殺行為に等しいので村を出て行くこともできずに過ごしていました。
そんな青年の唯一の心から安らげる場所は青年が幼い頃に偶然見つけた広い広い洞窟でした。
青年は心が潰れてしまいそうになったら洞窟を訪れ何時間も洞窟の中で過ごし壊れそうになる心が回復するのを待っていました。洞窟にいる間は昔から趣味としてやっていた絵描きをすることにしています。自分の好きなことをすることで青年は日ごろのストレスを晴らすのです。
青年が描く絵の多くは動物の絵。
動物の絵を描くことで青年は自分が狩をしている映像を頭の中で膨らますのです。そして青年は絵を描きながらいつも呟くのです。
「・・・オレだって。」
そのような毎日を送り青年も大人になりました。気がつけば青年は洞窟の至るところに絵を描いていました。洞窟内の多くの動物などの絵を改めて見回すと青年は思いました。
(オレだって・・・できるんだ)
思った瞬間青年は洞窟から飛び出し一人狩に出て行ってしまいました。身体の弱い青年、無理な運動をすれば胸が苦しくなり動けなくなりまともに呼吸もできなくなります。その事を知りながらも青年は飛び出していってしまいました。
その後村には青年が戻ってくることはありませんでした。
"

ラスコー洞窟には数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もあったとある。そして、この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてあり、絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてあるとある。なぜ、15,000年前のクロマニョン人はこんな絵を描いたのか。私は、これらの絵を描いた者には後世に絵を残すためや、動物の姿を描くことでその集落の人々に動物の姿を教えるなどといった、そういう思惑は一切ないように思えた。まるで私たちが授業中にノートの端に落書きをするように、ただ馬がいたから描いた、そこに人間がいたから描いた、そんなことではないだろうか。狩猟や育児の空いた時間にふと絵を描く。このころは紙などといったものはないから、共同の絵を描く場所、現代のお絵かき掲示板みたいなところが、このラスコー洞窟だったのだろう。それぞれの国や民族、集落で色んな文化があるように、この洞窟周辺の集落では、そういった文化があったのではないだろうか。このころはさすがに想像力が豊かとは言いづらい時代だ。となると必然的に想像したものではなく、実際にあるものをそのまま描く場合が多くなるだろう。想像したものを描こうとしても、ちゃんとした形をとることなく、幾何学模様として残ったと考えられる。となると最後に残った500点もある人間の手形についてはどういうものかといわれると、私はこれを描いた人のサインと考えた。この時代、個人を区別するのに名前はあっただろうか、もしかしたら名前を呼び合っていたかもしれない。しかし、文字までは使用していなかったはずだ。となると絵を描いたあかしとして、自身の手形を残したのではないだろうか。この洞窟周辺に住んでいたクロマニョン人は、そうした芸術性に富んだ者たちだったのではないか。そう考えるとつじつまが合う気がする。昔の人も今の人も変わりはないのだ。

"2.何のために描かれたのか考察
 情報を記録する手段に乏しかった時代において構成に歴史や有益な情報を伝えて種族を反映させるために描かれたのだと思います。

"



"部族間で起きた戦争での不満をを動物に比喩して描いたのではないかと考える。

描いた本人は支配される側の部族であり、支配している側の部族に対して思うところがあり不満を形にするために描いたのでないだろうか。直接的に不満を描くと殺されてしまうなどのペナルティがあり、それを恐れてはいたものの、どうにか不満をぶちまけたい者が比喩表現を用いて描いたものであると考える。"
私はラスコー洞窟はかつて旅人の休憩所だったのではないかと思いました。旅人達は洞窟で一晩を過ごしたり、雨をしのいでいたりしたが、昔は暇をつぶせるものがないため旅人達は食料を食べたり、寝たりする以外はボーとしているしかなかった。しかし、ある時旅人が洞窟の壁にある汚れに目をつけ、近くにある石や泥などで絵のようなものを描いて時間をつぶした。また、違う旅人が洞窟を訪れると旅人はその絵のようなものを見つけると、旅の途中で見てきたものを連想し描いた。またある時は、染料を持った旅人が訪れ絵を描いたり、元からある絵に色を塗ったりした。そうしてラスコー洞窟の壁画は描かれたのではないかと思いました。
" ある日一人の少年が洞窟内に一人の女性を見つけた。少年は何故こんな場所にいるのか尋ねたが、その女性には少年の言ってる言葉がわからなかった。また、少年にもその女性が喋っている言葉が理解できなかった。そこで少年は壁に絵を書くことでその女性とのコミュニケーションを取ろうと考えました。
 それから少年と女性は洞窟の壁に絵を書く事でお互いのことを話ました。少年は自分の家族のこと、何をして遊んだかを、女性は自分が天使であること、神様に怒られ飛び出してきたこと等を絵にして相手に伝えました。2人は言葉は通しなかったがとても仲良くなりました。
 数ヶ月がたったある日、少年は天使に自分も狩りに行くこと、狩りをこなすことが出来れば立派な大人として認めてもらえるということを嬉しそうに伝えました。少年は天使に狩りが成功し大人と認められた結婚しようと伝えました。言葉は通じない2人でしたが、いつしかお互いに惹かれ合っていたため、天使は人間として生きていこうと決心しOKの返事をだしました。言葉はこれから覚えていけばいいと思っていました。
 それから少年は洞窟に姿を現すことはありませんでした。少年は初めての狩りで命を落としてしまったのでした。少年が死んだことを知らない天使は何年も何年も少年を待ち続けました。
 天使は肉体が朽ち果てた後も魂は少年を待ち、壁画が色あせないように守り続けていました。そしてラスコー洞窟が近くの村の子供達によって発見されたとき、天使はやっと少年の死を受け入れ壁画を守ることをやめ、天国へと旅たったのでした。少年との再開を夢見て・・・







少年「もう離さない、結婚しよう」
天使「????」
やっぱり言葉は通じなかった"




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3-1 いつ,どんな,だれと?
  ビデオゲームの記憶,外遊びの記憶,テーブルゲーム(将棋かるた等)何れもOK

# Q.5
"今から20年近く昔、父親が買ってきてくれたSFCのRPGをやった。
中古だったのか説明書が無く、どうすればいいのかわからないままプレイした。"

"ゲームは、テレビゲームだと、家にあったファミコンでスーパーマリオブラザーズをやったのが最初ですが、その前にも、何かのキャラクターを使った携帯ゲームやゲームボーイの太陽の天使マーローというソフトで遊んでいました。
外遊びは、幼稚園の友達と、鬼ごっこをしたのが最初だと思います。
テーブルゲームは、トランプで遊んだと思います。"



"物心つくころには父親がファミコンの「三国志」をやっていた。これがゲームとの出会いだと思う。
その出会いからそう経ってないくらいにづーパーファミコンの「ドラゴンクエスト5」を自分でプレイしたのがゲームを初めて遊んだ経験だと思う"
"・ビデオゲーム
4~5才頃従兄弟からファミコンを譲ってもらい、星のカービィをやりました。
始めて遊んだ時は姉が少し触らせてくれる程度だったと思います。
・外遊び
もの心付いた頃の話ですが、保育園の頃保育園の友達と一緒にごっこ遊びをしてた記憶があります。
当時は車が好きだったので車ごっことかしてました。
・テーブルゲーム
テーブルゲームで印象に残っているのは、お正月などで従兄弟と集まった時に、親達も一緒に人生ゲームをやった事です。
当時は小学1年ぐらいで、理不尽なお金の喪失、驚きの大収入など辛いときは本当に泣きそうになり、嬉しい時はジャンプして喜び、時間を忘れるほど楽しみました。
"
テレビゲームは目が悪くなるという理由でなかなか買ってもらえなかった、そのため、テレビゲーム以外のドンジャラや人生ゲーム、ツイスターゲームなどが最初に買ってもらったゲームだと思う。小学生低学年の頃だと思う。
"私がやった思い出せる限りで最も古いゲームは、
はっきりと自分の年齢もわからないほど小さい頃に
姉と姉の友達と私と3人でやったカルタです。
アンパンマンのカルタでした。
下の句を覚えていて圧勝した、という覚えがあるので、
おそらくそれ以前にもやったことがあるのでしょうが、
思い出せませんのでこれが私最古のゲームの記憶です。"
一番最初に遊んだゲームの記憶は、小学校に上がったばかりの頃、友人のSFCでボンバーマンを遊んだ時のこと。コントローラーの使い方も分かっておらず、初期位置に爆弾を置いては自滅していました。
"持っているゲーム機の中で最も古いのはゲームボーイである、ソフトはストリートファイターであった。おそらくこれが初めて遊んだゲームであると思われる。事故の影響で記憶が穴あきのため深くは思い出せないが年代的におそらく幼稚園のころ、一人用のゲームのため一人で遊んでいたと思われる。
"
初めて遊んだテレビゲームは、自分が2~3歳のころ父と一緒にスーパーファミコンをした。

"・幼稚園の頃は、外で「色鬼」などをして遊んでいた記憶があります。結構大きな遊具があったため、友達と上ったりして遊びました。
・ビデオゲームの記憶は曖昧なのですが、小学校時代は意外とファミコンやゲームボーイなどには惹かれず、ベイブレード、ミニ四駆や遊戯王カードなどホビー商品で友達と遊んでいました。小学3,4年あたりに任天堂64に興味が出てきて買って遊んだと思います。"
"自分が憶えているのは、小学生のころ発売したポケモンでしょうか
誕生日のプレゼントとして買ってもらいよくそれで遊んでいました"


"ビデオゲームの記憶は幼稚園高学年の時にファミコン(戦隊もの) を兄とやっていた。
また、よく兄とボール遊びやカードゲームもやっていた。
"


詳しい記憶はありませんが、はじめては四、五歳頃の筈で、家族や近所の幼馴染や友人と遊んだ記憶はあります。ビデオゲームはスーパーファミコンのマリオなどをし、外ではおにごっこやかくれんぼ、トランプやすごろくなどのテーブルゲームをしていました。

"いつ・・・三歳児ぐらいの頃
どんな・・・スーパーファミコン「カービィボウル」
だれと・・・家族と一緒に
"

"私が一番最初に遊んだゲームは、ゲームボーイです。白黒のゲームボーイです。
ソフトはポケットモンスターレッド版でした。
一人で黙々とやっていました。"
"
初めて遊んだテーブルゲームは「将棋」10歳ごろに祖父と。
初めて遊んだビデオゲームは「スーパーマリオ64」10歳ごろ
初めて遊んだ外遊びはたぶん「ボール遊び」4,5歳ごろに父と。"
 初めて遊んだものはなんだったのかは今となってははっきりしない。親が元から持っていたGBやSFCのゲームであったり、自分がせがんで買ってもらったゲームであったり。印象的なのはやはりポケモンだろうか。たまに親と遠出をしてスタンプラリーや幕張のイベントに行ったものだ。友達と遊ぶときはやはりみんなで遊べるゲームをやるものだ。ファミコンで2人でやるものを4人で交代でプレイしたり、64が出たあたりになればスマブラをやったり。あのころはどんな糞ゲーをやっても面白かった。ゲームに限らず。今でもたまにみんなであのころの古いゲームをやる。やはりいつになっても面白いものは面白い。ゲームは偉大である。
"
記憶が定かではないが、物心つかない頃からブロックで遊んでいたようである。大体が自分一人であったらしいが、たまに親を巻き込んで城壁やら乗り物もどきを作っていた。
"
"ゲームボーイの「ポケットモンスター緑」

最初はやり方、進め方がほとんど分からず何度も説明書を読み、姉と小さい画面を見ながら進めた"
初めてビデオゲームをプレイしたのは4,5歳くらいで、当時仲の良かった友人が持っていたSFCの「ダライアス・ツイン」という横シューティングゲームをやらせてもらった記憶があります。それが面白くてどうしても自分も欲しかったので、色んなゲーム屋さんを回った記憶があります。
記憶の限りでは1996年発売のGBソフト「ポケットモンスター 赤」で、小学校1、2年生くらいに遊んだ。妹や友達、先輩なども持っていたので対戦や交換をして遊んでいた。通信ケーブルを持っている人が少なかったので、大概その人を中心に集まっていた記憶がある。


幼稚園に入る前の頃外でセミの抜け殻を近所の友だちと一緒にとっていた。
  小学校1年生の時、母方の祖母と弟の3人で花札を遊びました。

ポケットモンスター赤。小学校の頃に買ってもらい、当時のクラスメイトと通信ケーブルで交換や対戦をしていた。
"小学1年生にゲームボーイを一人でポケットモンスターをしました。
初めてやったゲームであり、非常に興味を持ち没頭した思い出があります。
またこれをきっかけに大学生までゲームを定期的に続けています。"

"私の記憶の中にあるもっとも古いビデオゲームで遊ん記憶は幼稚園のときに親に買ってもらった「ピコ」と呼ばれるゲーム機だと思います。
ソフトは本みたいにページをめくって付属のペンでタッチしたり絵を描いたりしていたと思います。
「ピコ」でプレイしたゲームソフトのなかで最も覚えているのは「カーレンジャー」のゲームです。"

おそらく5歳くらいの時だろうか、私の家の目の前には川があり、ちょうどよい河原もあった。親といっしょによく遊びに行き、石を投げ水切りをした。それが初めて遊んだものだと思う。

"課題3
1.初めて遊んだゲームについて
 ポケットモンスター緑、幼稚園の頃誕生日に買ってもらったんものを一人でプレイ"



"ビデオゲーム:5,6歳の頃?に親とスーパーファミコンの「マリオRPG」
外遊び:4,5歳の頃、友人と公園で追いかけっこ?
テーブルゲーム:小学校低学年の頃、祖父と将棋"
1998年ごろにスーパーファミコンの「スーパーマリオカート」を一人でプレイしていた。
" ビデオゲームは小学校に入る前ぐらいからファミコンの忍者ハットリくんのゲームをやっていたと思う。
 外遊びは近所の公園で近所の人たちと鬼ごっこやボール遊びをして遊んでいた。
 テーブルゲームは小学生のころ親とオセロをやった。"



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3-2 アンケート「プレイヤーがゲームジャンル求める要素についての調査」に参加して下さい
  【URL】 http://j.mp/GG20121010

# Q.6
"シナリオのあるゲームに関しては、プレイしてどのような気分になるかはそのゲームのシナリオの方向性次第だと思う。
エンディングが複数ある場合、BADENDとGOODENDでも差が出る。一概には決められない。"





同じことを三回もやるのは長くてちょっと疲れるなと感じた
感想は書いていません。
具体的なタイトル、このアンケートでは「ポケモン」のようなものがあればわかりやすいと思いました。なぜかというと、ジャンルというものがはっきりと分かっていないからです。ライトユーザー(私を含む)はジャンル等をはっきりと知らない人が大半だと思います。
"自分がどんなジャンルのゲームが好きだったかということを
自覚できた。今までなんとなく好きなゲームを選んでやっていたが、
やはりそれごとに求めているものなどが違って発見があった。"
ゲームをやり遂げた時の達成感をまた味わいたくなった。
"ゲームをプレイしてどんな気分になるか何度か聞かれたが、個人的には楽しい気分などといったものよりもストレス解消的な意味合いが強いように感じる。そのためそういった項目が設定されていなかったことに違和感を感じた。
"
ゲームのジャンルが多くて助かった。だがポケモンだけ別なのが謎だった。

どのような結果が出るのか楽しみです。



"ゲームに関してのアンケートはしたことがないのですが、
ゲームをあまりやる時間とかは決めず、たまに思いつきでやることが多いと思った。
自分がどんな気持ちでゲームをするのかもしれてよかったと思う。"




アンケートを受ける側としては、好きなゲームジャンル二位までの方が良いと思います。三つ目以降はだれて解答が適当になってしまうので。

"ジャンルや選択肢がたくさんあったので、答えやすかった。
質問も簡潔で良かった。"



"好きなゲームの1位と2位のジャンルは方向性としては似た様なものだがそれでも求める要素には差が生じた  プレイしているときは特に感じないことだが評価してみるとずいぶん違うとこの調査を通して感じた
"
"自分はゲームをわりとやっているんだと思いながら実際はあんまりやってないほうなんだなって思います。
特に好きだった音楽ゲームに対してはゲームよりもむしろサウンドのほうにひかれている感じがしますね。
"
面白い調査でした。結果がどうなるのか気になります。


"ゲームのジャンルが一緒でも感じるものはそれぞれなので回答しにくいと思いました。
似たような問題を複数出されると混乱してしまいますのでそこを工夫してくださると嬉しいです。"
経営・育成シミュレーションの欄がないように思われます。

普段自分がゲームをしているときの気持ちと向き合えることができました。
ゲームの種類がこんなに多いことを改めて知る良い機会になりました。



今回のことで改めて自分の好みを考えることができました。

質問を答える側として、三回同じテンプレートに入力するのは回答意欲を削がれるので一般に回答してもらうアンケートとしてはあまり適切ではないと思いました。



書いていません
"今回このアンケートを受けたことによって、今まで意識していなかったゲームに求める感情とゲームをプレイすることによって得られる感情の違いや、ゲームユーザーが求めるジャンルごとに異なる要素について改めてにんしきしました。これらのことを参考にしてこれからの作品制作に役立てていきたいと思いました。
(一度データが消えてしまったので、アンケートの感想と異なる感想になっています。申し訳ありません。)"
" 特になし
"



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