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20121023

posted Oct 22, 2012, 6:52 PM by Akihiko Shirai   [ updated Oct 22, 2012, 7:06 PM ]
★以下の課題1~3を出席URL(j.mp/ShiraiSemi)とキャリアポートフォリオの両方で投稿すること.
・課題1「人はなぜ伝えるのか」
 本日の講義をふまえて,自分なりの理由を探してみて下さい.
 作文:1000文字以下
・課題2「情熱大陸・猪子寿之(2012年7月15日放映)」についての感想

・番組を作る側の視点で見てみて下さい
・この番組が伝えたいこと
・ヒント:放映時間帯,アサヒスーパードライ (情熱,足りていますか?)
・番組で扱っていないことについても調べてみてよい 例えばTeamLabについて
・300文字以上~上限なし

・課題3「ピアジェの遊びの段階説,感覚運動遊び」
 本日の講義をふまえて,自分なりの体験を説明してみて下さい.
 作文:1000文字以下

・締め切りは月曜朝9時とします.
従来の出席URLにも提出しますので,バックアップとして,テキストエディタで作業しておくことをおすすめします.



・課題1「人はなぜ伝えるのか」
 本日の講義をふまえて,自分なりの理由を探してみて下さい.
 作文:1000文字以下

078165 提出済
自分が何かを伝えることで、他人から自分の知らない情報が得られる可能性を作る。
自分だけが知っている事を伝え自身の知識の多さを暗に自慢する。
どちらも自身に何らかの得があるからやる事。
逆に授業で例に挙げたように、見張り台から住民に津波の危険を知らせるのは、地域の人を助けたいから。下手をすれば自身が津波に巻き込まれる恐れがあるのにそうするのは他人のため。もしかしたら、被害者が出た時、自分が頑張れば犠牲者を減らせた筈、などという罪悪感を負いたくないという
利己的な考えの場合も、極稀にあるかもしれない。
どちらの例にしても、自覚の有る無し別にして自分の益がある。
自身のために得がある行為は言うまでもなく。他人のためのことでも、それは当人が他人のためにしたいと思うからやること。
自覚が無くともそれは自己満足。
何故伝えるのか。それは当人の精神的な満足や相手からの見返り等、何らかの利益の為である。

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0923115 未提出

0923119 提出済 
ひとはなぜつたえるのか講義を踏まえて
人は自身の気持ちを共有したい、あるいは情報の共有の大切さを知っているからこそ人は人に何かを伝えようとするのではないかと思う。
感覚の共有と言えば絵画というものは自分の見えている景色を他の人にも伝えるために描いているんだと思う。今この景色は自分にはこのように見えているんだぞ!という風に
世界で数十億円の価値があるとされている絵の中に素人目にはラクガキと変わらないような絵があるが、あれは有名な画家がキャンパスをぐちゃぐちゃに塗ったものをアート作品として世に送り出しているという所に価値があるのだそうであれは当時の世情や作者の心象を理解していないと価値が分からないようなものなのだそうだ。
どうしてそのような作品を世に出そうと思ったのか、というのもやはり自分という存在を理解して欲しいからだと思います。自分と近しい感性をもってる人間に見られたいと思ったからこそ大衆には分からないような絵を作品として発表したのではないでしょうか。

1023003 提出済

相手の気づいていない状況を報せたり、身の回りで起きている事件などを教えあったりするため。
それ以外にも、自分の気持ちを解って欲しいときは黙していてもテレパシーがあるわけではないので伝わらない。
話し、聞き、身振り手振りなどで表現してこそ、自分の「言いたい事」を伝えられる。

1023007 提出済

人間は他の動物と違い、大脳が大きく成長している。
大脳の主な役割は「思考」であり、これが大きく成長した人間は、様々な思考が可能となっている。
思考がなければ相手に伝える事はできないし、伝える必要もない。
思考する事で始めて自分以外の相手と自分の思いを共有しようと思うもので、
人が他人を見殺しに出来ない感情、「可愛そう」とか「自分の身になって考える」という感情は相手の気持ちを共有している感情で、人間が大脳の思考機能を応用した素晴らしい感情である。
この感情のおかげで人間は平和に暮らす事ができている。
自分の事を伝えるのもコミュニケーションだが、相手の事を考えて、自分から相手の思考と同調する為の「伝える」という行為なのではないだろうか。


1023010 未提出

1023011 提出済

「人はなぜ、伝えるのか」その理由を考えるために、背理法を用いて「伝えないと人ではない」という事象を考えました。津波の迫る海岸の町で、危険を知らせる見張り台の人と住人のやり取りを例に取り考えてみると、見張り台の人を含めた全員が助かるためには、呼びかけられた側が発する『応答』が重要な要素だということに気付き至ります。ここに「人はなぜ、伝えるのか」の「なぜ」の部分に、『より多くの種が生き残るため』という仮説を当てはめる要素を見つけました。次に、他の生物は伝えることをしていないのかという視点で脳を主軸に置き考察をしました。さらにそこから「記憶」に着目し、「長期記憶に残るのは怖い思いを含む記憶」という点から、命や身の危険に関する情報がより強く、優先的に記憶されるということがわかりました。そしてそれらの記憶を、他人の脳に伝えるため、共通のルールに沿った「言葉」や「文字」を使用して危険体験の共有を図り、危険から遠ざかるという全体の構成を見つけます。結論として「人は生き残るために、伝える」ことを一つの答えとして導き出しました。以上が講義の要約です。
私も、「人はなぜ、伝えるのか」というその理由についての答えとして、「生き残るため」という意見でいます。講義中では脳に焦点を当てましたが、脳の働き以前に、生物の最深層の本能である生存本能が、「伝える」ということを行っていると私は考えています。知をもって恵みとし、生き残る方法を見つけてきた人間も、「怖い」という感情の存在事態が生命を守る本能であるといえます。しかし、おそらく感情を持たない人間に比べて遥かに知の劣る昆虫や鳥であっても、「伝える」という行動を確かに行っています。アリは、その行列の一匹を指で押さえると、特殊なフェロモンを分泌し、周囲の仲間に危険を伝えます。そのフェロモンを捉えた仲間は列を無視して散り始めます。鳥の雛は、自分が生きていて食料を欲していることを、鳴くことで親鳥に伝えて生きようとします。このように、生き残らせようとする対象が「個」であったり「集団」であったりしますが、本質は「生き残る」ということになるのです。


1023012 提出済
人が情報なり知識なりを伝える理由は、無意識の内に生存には情報や知識が不可欠であると知っているからであると考える。信号機の色を知らなければ車に跳ねられるのは目に見えている。時に危険な情報を他者に知らせ、共有するのは、協力しなければ危機を乗り越えられないと判断するためではないだろうか。

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1023015 提出済

人は、相手に想いを伝えることで理解し合い分かり合おうして生きている生き物である。だから相手に自分の思っている事を伝える。
相手に伝えて何かをしてもらうこれは私たち人間が乳幼児の頃からしていることでそうしなければ相手はわからないから伝える。
伝えなければ死んでしまうかもしれない。だから生きていくために伝える。
これらを踏まえて、伝えるという行為は生きるという事に繋がるのではないだろうか。
これが人が相手に伝えることの意味だと私は思う。

1023022 提出済

人はなぜ伝えるのか…なぜ伝えるのか、それは周りに自分以外の人がいて、その人達と共に生きていくためだと思う。自分の意思が他の人に伝えることができないと、争いが起きてしまうのではないだろうか。そうならないようにするためにも「伝える」ことは重要なことなのだと思う。


1023023 提出済

・「人はなぜ伝えるのか?」の問いに対し、自分が考えた結論は、人間という生き物が持つ「欲求」が大きく関係していると思います。

・授業の例を挙げて考えて見ますと、見張り台にいる人間は津波が来ることが分かると、地上の人間に「早く逃げろ!」と伝えます。自分だけが知る情報を他の人間にも提供するのです。それは「1人でも多くの人間を救いたい!」と思っての行動なので、当たり前かも知れませんが、裏を取ると<自分が活躍したい>後々、助けた人々から<感謝されたい>、<英雄視されたい>という「欲求」も少なからずあると思います。危険を人に伝えることで、尊敬されたいという自己満足に繋がり、結果的に「欲求」を満たす訳です。

・この「欲求」に対しては、<マズローの欲求階層理論>というものが提唱されています。人の欲求は、「生理的欲求」、「安全の欲求」、「所属と愛の欲求」、「他社からの承認と自尊心の欲求」、「自己実現の欲求」という5つによって階層状に構成されているというのです。

・「欲求」は人間が生きていくためには、欠かせない存在で、原動力とも捕らえられます。絶えず新しい情報を得て、「欲求」を満たすことに繋げていく訳です。


1023024 提出済

自分と他人とを比べてみて、感じることがあります。
それは、「自分は他の人に比べて、多くのことを知らな過ぎる」ということです。
どうして、こんな状態になってしまったのかを考えたとき、多くの原因が思い浮かびますが、その中でも一番の原因は、コミュニケーションを全く取らないことだと思えました。
昔から人と話すことが苦手で、相手に自分の意思が伝わらず、引き籠ってばっかりだったため、コミュニケーション能力が付かず、人との会話が減り、引き籠ってしまったために、本来手に入る情報を手に入れなかったために、このような状態になってしまったのではないかとおもいます。

このような自分の常態をふまえて、考えると、人はなぜ伝えるのか
それは、相手の必要な情報を分け与え、自分の必要な(知らない)情報を伝えてもらうために、人は伝えるのではないでしょうか
コミュニケーションの中には多くの情報があり、その情報の共有、情報を拡散することによって、多くの人と情報を共有することによって、重要な情報を広げるために人は伝えるのではないだろうか


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1023035 提出済

私が最近の多くの人たちに感じられることがある。それは他人と距離を置くことです。
バイト中でも、大学に居るときでも、散歩をしているときでも、いつでも目に入る人の多くにその事を感じる。
相手に伝えるべき言葉、感情、仕草、その他諸々の情報を知らない人には絶対に伝えない。伝えようとしない。
講義中にコミュニケーションは足りている、足りていないというものではないと話していたが、私はコミュニケーションそのものが無くなって来ていると感じる。
自分と関わりが無い人とは顔や目を合わせない、言葉も交わさない、電車内では1席空けて座る、狭い空間では先に居る人が居なくなるまで少し離れたところで黙って待っている、引きこもりや2ちゃんねらーと言われる人などなど。こういったことが多々見られる。
なぜ人との関係で限定的空間を作ってしまっているのか不思議でしょうがない。
人は一人では絶対に生きていけないというのは間違いでは無いと思います。他人と会話をして情報を交換して交流を持っていかないで孤独、孤立している人は死にます。
なぜなら孤独を感じると生きている意味を見失うからです。
極端に言うとコミュニケーションは一種の命綱だと私は考えてます。

1023038 提出済

人は、自分の得た知識を相手に伝えることによって、その伝えた相手がまた伝えていくといった要は伝言ゲームのように成り立っていると考える。昔からの生き方が伝わっていなければ現在の生活はなかっただろう。また、勉学にもあるように、教えることでその教えた人もまた新たな事を学ぶことができるといった一石二鳥であることが言える。
人は赤ちゃんの時、歩けることができなければ、しゃべることもできないので伝えられないから泣く。授業で教わったように「ママ」はすべての危険に対処できる言葉でこれに人が反応しなければ、新たな言葉を覚えるという。人は伝わらなければ、伝えるために学ぶということがこれからわかる。
なぜ伝えるのかは、自分にとっても相手にとっても利益のあるからだと考える。


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1023050 提出済

伝えることは、存在するのに必要だから行うと思います。
生存、利益、感情や行動など、あらゆることに情報は必要で、それらを利用するためには、入手する必要があり、更にそれには伝達することも重要になってくる。
これは方法が記号か音声か動画像かなどは関係なく、恐らく人間か動物かも関係ないでしょう。フィクションのように、もし人が人から別の種へ進化し、テレパシーや精神共有などが行え、一個体間の孤立が小さくなったとしても、伝えるという行為自体は、まった変わる事はないでしょう。これはある種の本能的な行動なのかも知れないと思います。
また、伝えるという行為は、単に情報の交換だけでなく、自分や他者という存在を確定させる為に必要なものだと考えます。自己を主張、表現することで自己は明確化していき、その自己とは違う他者の主張、表現を知ることで他者を認識し、自己も確立されていきます。人は自分と違うものを感じて、始めて自分を感じることができ、これは文化的な欲求で、これが出来なければ、間違いなく自分という存在は生まれてこないでしょうし、このような意味で伝えるという行動を捉えるのは、やはり人だからだと思います。


1023056 提出済

人は何故伝えるのかというものを自分なりに考えてみた結果、私は寂しいという感情があるからなのではないかと考えました。人間は1人きりでは生きていけないといわれています。それは1人で物事を考えたり行動したりすることを寂しいと感じているからだと考えました。どんなに心が強い人や、物事を進めることが出来る人でも心のどこかに寂しいという感情があるのではないかと考えました。故に、人は伝えるということをするのではないでしょうか。

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1023062 提出済

はなぜつたえるのか?
人の持つ、人としての「つたえる」を考えてみると、人類は「つたえる」事を、生きるための能力として選択したからなのかもしれません。
 太古の昔、日本では縄文時代、人々の平均寿命は僅か15歳前後でした。
大長老でも30近くといった所でしょう。そんな僅か15年という短い期間で、人は非常に多くの事を知らなければなりませんでした。
この世に生まれ、まずは食べられるものと食べられない物を区別する所から始まり、
石の槍や弓矢など武器の作り方から罠の使い方、やがては金属精製や牧畜、農業、建築、ありとあらゆるものを考え産みだし創意工夫を重ね、そしてそれを次の世代へ伝える事で「文明」と呼ばれるものを築き上げてこられたのも、
地球上の動物の中で人間だけが持つ人としての「つたえる」力なしではまず不可能だったことでしょう。
誰から教わったわけでもなく、ある時は身振り手振りで、ある時は言葉で、そしてある時は文字あるいは電気信号を使って、技術や知識などあらゆる物事をつたえ合ってきた事を考えると、人類はあらゆる手段を使って情報を伝え合う「能力」を自然と発達させてきました。
 それらは大昔に生きるために魚が陸に上がり、生きるためにキリンの首が伸びていったのと同じように、私たち人間は「伝える」という非常に強力な能力をDNAレベルで備え持っているせいなのかもしれません。
それを踏まえると、問いに対しての私の結論は、
人はなぜ伝えるのか?なぜ、理由のあるなしの話ではなく、むしろ伝えるからこそ人が人という種として存在しているのではないか、そう考えました。


1023063 提出済

人はなぜ伝えるのか、私の考えは、人は伝えないと伝わらないから、伝わらないと伝えてもらえないからですです。
ごくごく、当たり前の事ですが、これが本質だと思います。
講義の中で出できた津波のお話でそれがよくわかりました。
高台にいる人が逃げろ、と言って、それを聞いた人がもう逃げたからあなたも逃げろと言わないと最初に逃げろと
伝えた人が死んでしまうと講義でやりました。
このことから、伝えないと伝わらないし、伝わらないと伝えてもらえないということがわかりました。


1023072 提出済

人はなぜ伝えるのか、それは生きていくためであると私は考える。
生きていくためには知識をつけなければならない。何の知識もなければ人が生き続けることはほぼ不可能だ。
知らず知らずに毒や体に害を及ぼすものを食べたり飲んだりしてしまうかもしれない。私たちが今いきていられるのはそういったものを取り除き、極力安全なものを摂取しているからだ。もちろん食べ物に限った話ではない。病気や怪我をした時の対処など様々なことを知識として取り入れているからそういった状態に対処でき、生き続けることができるのだ。
ならば、どのようにしてそれらの知識を手に入れているのか。ここで今回のお題「人はなぜ伝えるのか」に繋がるのだ。
人は人へ知識を伝えることで知識の共有を行っている。その手段は会話、書物、行動など様々である。それらの手段をつかい、この病気にはこうした方が良いや、あの食べ物は危険だなど、知識を伝えることで人はその知識を活かし生きてくことができる。
初めに述べた通り、「人はなぜ伝えるのか」 それは生きていくためなのだ。

1023073 提出済

 人は何故伝えるのかに限らず、人間の行動には全て唯一つの行動理念で説明できることを先に述べる。それは欲望という感情(または感覚)に他ならない。そもそも人間の発達には全て何かをしたいという欲求があり進化してきた。例えば火を生み出せたのは何かに火を通したかったのかもしれないし、温まりたかったのかもしれない。武器を生み出せたのは狩りをもっと効率よくするためかもしれないし、身を守るためかもしれない。それと同じ用に言語や身振りというコミュニケーション手段が生み出されたのだ。あいつに何かを手伝ってもらいたい、あいつに危険を知らせたい、自分はこう思っているんだという欲求を伝えるための手段なのである。欲といえば聞こえは悪いかもしれないが、欲がなければ人間の文明はココまで発達せず、そしてここまで争いが絶えなくなることになることもなかっただろう。他の動物と明らかに異なる強烈なまでの人間の欲はこの先もなくなることはなく、また万が一なくなることがあるとすればそれは人間ではなく、生きるために生きるだけの単なる動物に成り果てるであろう。だから人間が人間たる理由であり、欲求を満たす手段であるコミュニケーションはいつまでたってもなくならない自分の証明の手段なのである。


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1023078 提出済

人はなぜ伝えるのかという内容についてだが
自分の欲求を満たしたいためにコミュニケーションをとるのではないかと考えている。
赤ちゃんはお腹空いた、寂しい、等不快を覚えた時に本能的に泣いている。
そうすると基本母親がご飯をあげたり、抱っこしたりと面倒を見ている。
この事から次第に赤ちゃんは泣いて伝えることで自分の欲求を満たすことができると知る。そして成長と共に赤ちゃんは少しずつ単語を覚えていくが最初に覚える単語は「ママ」もしくは「マンマ」とされている。
空腹等の欲求を満たしてくれるのが母親なので母親に関係する単語をまず覚えている。赤ちゃんの時点でコミュニケーションは自分の欲求を満たすために使えると覚えているのである。
「~したい」「~でありたい」というのも大きな解釈をすれば欲求であり、
人間の欲求は生きていく上で大きいものから小さいものまで必ずあるものである。
そしてその欲の満たし方として一番最初に覚えるのは人に伝えることである。
その経験がある以上人間の欲はほぼ無くならない為コミュニケーションは必ずとるのである。


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1023082 提出済

私は人が「伝える」ということを行うのは、生きていくため、欲求を満たすためではないかと思う。

人は集団を形成する傾向がある。これは、一人よりも二人のほうが作業の効率が良い、
一人では不可能なことや時間がかかってしまうことも多人数ならば可能であるなど、
得られるメリットが大きいからだと思う。

集団を形成することで、一人の状態よりも生きやすくなる。
一人では生きていくために必要な全てのことを自分で行わなければならないが、
集団であれば誰かに任せることも出来る。一人では不可能だったことも可能になり、余裕が生まれる。

集団で生活する上では、相手に自分の意思を伝えるため人同士のコミュニケーションが必要になる。
ここで「伝える」ことの必要性が出てくる。何か伝えるという行為をしなければ、相手の意思は分からない。
絵、音、文字などの手段を用いて、自分の意思を表現して相手に伝えようとする。

講義内で「赤ちゃんが『ママ』、『マンマ』と生まれてから最初に発するのは、これを発音すればお腹が空いている状態が解決するからである」ということを取り上げていた。
これは、ごはんが食べたいという欲求を満たすためであり、生きていくために必要であるから、発音して「伝える」行為をしてると言える。

1023093 未提出

1023095 提出済

●人はなぜ伝えようとするのか?

ピアジェの発達段階説によると、
人は1歳半頃まで知性が発達すると、他人をコントロールしようとするようになるそうだ。
(自分の見ているものを親に見せようとする)
この行動の結果、見せることに成功したのか失敗したのかは別として、


コミュニケーションしようとしている(相手に向けてのメッセージがある)


ことが解る。つまり、知的になるからこそ(人間は知的)、その発達に伴って、
コミュニケーションするようになる(しようとする)という訳である。
動物の中では、例えば蟻の場合、餌の在処までの道筋に目印として自身の分泌液をたらすそうで、
それに従って他の蟻は、正確な餌までの道筋を把握できる。餌を巣に持ち運ぶために他の蟻に
対して目印を示し、それが達成されていることから、本能的であったとしてもそれがコミュニケーションであると言える。
しかし、より高度なコミュニケーションはできない。(人間のように会話し、相手を深く理解するなど)
先ほど1歳半ごろの人間を例に挙げたように、初期は相手をコントロールすることが主だったとしても、
人間は人間の築く社会の中で生きていくため、他人との関係性は

いかに良く生きるか

という問題に対し、
極めて重要ことである。
更に年齢が上がり、多数の経験をつんで発達が進むと、より高度な、確実性のあるコミュニケーションができるようになる。
(論理的な言語や、常識など、双方で共通性のある方法) 
そんな環境で過ごすことで、しだいに、コントロールではなく、手を取り合うように変化していくのではないかと思う。
であるから、互いに理解しあうこと、理解されようとすること、より双方向性のもった高度なコミュニケーション
が行われることは自然な過程なのではないかと感じた。



1023106 提出済

今回の講義を受けて、何故人が伝えるという行為をするのかということを考えてみて、よりよい生活を送るために必要なことだからという結論に至りました。
何故そう考えたかというと、授業で言っていた人が最初に発する言葉が母親に関することが多いのはご飯を食べるや自分が不愉快な気持ちになったりした時にお世話してくれる人の名前を呼んで自分の欲求を満たしてもらいよりよい生活をおくるためだと思いました。
自分の欲求をみたしたり、よりよい生活を送るために伝えるつまり、人はコミュニケーションをしているのだと考えました。


1023110 提出済

 人に伝えるという事は、自己の存在を何時までもこの世に残す事です。
あらゆる生物には、自己保存の本能というものが備わっています。これは、ある種族全体からみた内の一体ではなく、一個体としての自己を存続させようとする本能です。他人よりも優位に立ちたい、より多くの資源が欲しい、死にたくない、などといった思いの根底には、この自己保存の本能が存在します。
しかし、状況や原因に違いはあれども、生物は必ずや死に至ります。抗うことができない自然のシステムに対して、自己保存の本能はせめてその時を、可能な限り先延ばしにしようとします。そのために、個人が、集団が、地域が、国家が、時に協力し、争い、己を守るために活動するのです。ですが、人間には未来を予測する能力、即ち理性が備わっています。そして人間は、社会の中で生活していくうちに、生物の死は不可避であることを学習します。その結果、理性は自分の死が不可避であることを知るのですが、自己保存の本能はその上で尚も自己保存を果たそうとします。
 自己保存のための手段として、自己以外の『何か』を自己に見立て、それを存続させることで自己保存の欲求を満たすという代償行為とも言える方法があります。この時に自己の代替となる『何か』は有形無形を問わず、それは物品であったり、情報であったり、言論であったり、精神であったりしますが、恐らく生物ではありません。何時か死ぬ生物である己の代替なのですから、同じ生物では本質的に意味がないのです。こうして自己の代替となる『何か』を見つけた人間は、それを完成させるべく行動します。究極的には自己保存のための行為であるため、そこに苦痛や障害があっても、多くの人間はこれをやり遂げます。最終的には、その『何か』を発表したり展示したりすることで他人や社会に認知してもらい、そこに自己の存在を確信することで自己保存の欲求はある程度の満足を得ます。
このように、『何か』を伝えるためにはその『何か』の存在が必要であり、『何か』とは自己の代替です。即ち、『何か』を人に伝えるとは自己を人に伝えるということであり、その目的は自己保存に他なりません。つまり、人は何時か消え去る自己をこの世に残すために、『何か』を伝えようとするのです。


1023116 未提出

1023125 未提出

1023136 提出済

 今回の白井先生の講義を踏まえて、動物は「伝えること」で自分の欲求を満たしているのだと考えます。
また人間が初めに発する言葉が「ママ」や「マンマ」であることを知りました。
この二つ言葉は「ママ」と言えば母親が世話をしてくれる、また「マンマ」と言うことでご飯を食べることが出来ます。
このことを考えることは、つまり自分の欲求を満たすために、言葉というコミュニケーションを使用し、伝えていると考えました。

 講義内で高台と津波を用いた例を挙げて説明をして頂きました。
この例も高台の人が村の人へ危険という思いを伝えるため、自分の意思を主張しています。意思を知ってほしい、聞いてほしいという本人の意欲です。助けたいという気持ちもあると思いますが、自分のことを聞いてもらいたいという思いもそこには存在していると思います。

 幼い子供だけではなく、動物が何かを伝えるときは自分のことを知ってもらい時や主張したいときと使用すると思います。
これらは自分の存在の証明や主張であると考えます。つまり自分のことを訴えたい、主張を聞いてもらうことで「満足したい」という風に考えます。

1023145 未提出

1023146 提出済

人は何故伝えるのかという疑問ですが、私は自分の伝える理由は自分の持つ価値観や好きなものを共感してもらうためなのではないかと私は思います。人間は自分の価値観を相手に共感を得るほど快楽を感じ、共感を得ることができずに周囲から孤立しているのは死んでいることと大差ないと感じている生き物だと思うので、自分以外の人間に自分の価値観を伝え、共感してもらい仲間を増やすために言葉が生まれ、文字が生まれていったのではないかと思います。


1023153 未提出

1023158 提出済

人はなぜ他の生物はしないコミュニケーションをするのか、そしてなぜそれが必要なのか。それは生きるために必要だからではないだろうか。人は他の野生動物と比べると、固い爪も、鋭い牙もない、単一ではとても弱い生き物だ。他人とコミュニケーションを行いグループとしていなければとても生きていけない。他の野生動物も群れを作り、集団で狩りをするといったことはする。しかし、われわれ人間はそれらの集団より、複雑なコミュニケーションを行っている。
 これが他の生物より個で劣る人間が生き残るための伝える手段であり、それが可能なのは「言葉」という、集団の中での「共通のルール」が存在するからだろう。そして「人間」が「言葉」を使って伝えるということはその逆もしかり、「言葉」を使って伝えなければ「人間」ではないともいえる。
 赤ん坊が生まれてから最初に喋る言葉は「ママ」らしい。これは「母さん」と「マンマ(ごはん)」という二つの意味をとれる。双方とも生きるために必要なものを伝えようとしている。そう伝えなければ死んでしまうからだ。いや、現代ではさすがにそのようなことで死ぬ赤ん坊はいないだろうが、これは「共通のルール」を使い、伝えることで生きようとしたのだ。
 初めは生きるためにコミュニケーションを深くするため「言葉」という「共通のルール」を使い、伝えるようになった。しかし今「人間」は、「共通のルール」を使って伝えなければ死んでしまう、「人間」ではなくなってしまうのだ。つまり、私たちは「人間」であるために伝えるのだ。


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 「人はなぜ伝えるのか」ということで授業中の例では、危険が迫った時を出している。
例では、見張り台に人がいて、家の中に人がいる状態で津波が迫った時、2人とも生き残るにはどうしたら助かるかを考えると。見張り台の人が「逃げろー」とみんなに知らせるだけでは、見張り台の人が逃げ遅れてしまう。なので、避難した人が、逃げ遅れた人がいないことを、見張り台にいる人に伝えて見張り台の人が逃げられなくはいけないとしていた。
 そのことから、人は危険が迫った時、生き残るために一方的な伝達ではなく相互伝達をしなくてはいけないと考える。

 また、授業では「人はなぜコミュニケーションをするのか?他の動物はしないのか?」という題目で脳について、大脳と小脳の仕組みについて説明している。
 小脳は、歩くことやバランスなど人間が生きるのに必要な本能的な部分であり、大脳は「歩こう」「行かなきゃ」など行動をすることなどコマンドを考え命令したり言語を操ったりする部分だと説明している。そして、人の脳は他の生物よりも大脳が小脳よりも大きく発達しているとも説明していた。
このことから、他の生物も狼の遠吠えや鳥のさえずりなどのような簡単なコミュにケーションができるが、人は文字で伝えたりすることなどより高度なコミュニケーションが可能であると考えられる。

1023188 提出済

 「人はなぜ伝えるのか」という内容について、講義では津波が来た際に全員が助かるには何が必要かという形で説明していた。
 まさに、それではないかと考える。上記の例では伝えることができなかった場合、津波に気づき危険だと判断し避難した人しか助からない。しかし、伝えることができるからこそ全員を助ける方法があったといえる。
 つまり、伝えるということは生きていくうえで必要であり、あると都合がよく便利なものであるといえる。だから今の「人」に進化し、なにより効率よく生きていくために必要なものであるので、身につけ、「伝える」という行為をしているのではないかと考える。

1023195 提出済
私の考えではなぜ人は伝えるかというと、人は孤独の中で生きていくことはできないため、現在の他者とのつながりや過去から現代への伝えてきたもの、そして現代から未来へ伝えていくなど常に他者とのつながりを心がけています。なので伝えるということは、人間にとってすでに行為ではなく本能になっているのではないか、だから人は特に考えることもせずに伝えるという行為ができるようになっているのではないかと私は思いました。

1023196 提出済
 人は伝えることで自分がして欲しいこと、自分がやりたいことを相手にわかってもらいたいのだと思います。また、それに対する反応を求めているのかもしれない。

1023197 未提出








・課題2「情熱大陸・猪子寿之(2012年7月15日放映)」についての感想 
・番組を作る側の視点で見てみて下さい
・この番組が伝えたいこと
・ヒント:放映時間帯,アサヒスーパードライ 
(情熱,足りていますか?)
・番組で扱っていないことについても調べてみてよい
   例えばTeamLabについて
・300文字以上~上限なし

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猪子寿之氏の話し方や聞く態度は、人によっては好ましくない態度ではあるだろうが、それでも世界で認められているという事はつまりそれだけの芸術的なセンスがあることを示している。
仲間と楽しいことをやる。優れた能力を持つ者が一人で推し進めるのではなく、幅広い分野の人と話し合いながら、知識なり意見なりを交換、共有することで、そこから新しい発想を産み出し皆で形にしていく。
評価されるだけの能力と、仲間と協調して新しいモノを生み出す柔軟な発想力。これがメディアアートの先端を行く人物が持ち合わせているもの。特に優れた人は注目の的になるが、それは創作活動を共にする仲間の存在があってこそ。
この業界を目指すならば、一人でやろうとせず仲間を作ろう。

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動画感想 番組を作る側の視点
 対象としている人間は大人だが、まだ余力や可能性のある大学生、20代を対象にして組まれた番組のように思う。登場しているのは猪子寿之の他には新卒で入社してきた学生やイベントで質問してきた若者、あるいは若者に支持を得ている人間である。
番組の構成としては
不思議な感性を持ったこの人間の発想は様々な分野の最先端で求められており、様々な場所で評価されている。
どのような発想と構想をしているか、それによってどのような作品ができたのかというのを紹介している
こんな感性を持った人間が描く未来図
という構図で番組は終わっているが、全体的に猪子寿之という人間は不思議な感性の持ち主だというのを強調している要素、それを肯定している要素が大きい。



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・番組を作る側の視点で見てみて下さい
インタビュー、撮影内容をいかにわかりやすく、簡潔に纏め、テレビ局の都合の良いように不自然なく放送できるか
・この番組が伝えたいこと
簡単に言えば今こういう技術があり、こういう事をしている人がいて、その業界はこんな状態ですよ、というのだと思います。


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情熱大陸という番組は毎週主役が変わり、その度にこの番組の伝えたい事、またはその趣旨が変わっていると思う。
しかし伝えたい対象は一律であり、放送時間や提供の事を考えると、社会人・大学生など大人に的を絞っている事が分かる。
放送時間は日曜夜の11時で、提供はビール外車アサヒと車、社会人や大学生の唯一の休みの日曜日の深夜、子供たちも寝静まり、一週間でいちばんゆっくり出来る時間帯にビールでも片手に見るという風景を思い描いて放送しているのではないだろうか。
今回の主役はメディアアート界の猪子寿之さんで、私たちの身近なメディアで思いも描かない物を作り出している職人である。
彼のメディア関係の一般的な仕事内容とは一線を博す、奇抜な日々を視聴者に見せる事によって、私には未来に羽ばたこうとしている学生、今現在働いている社会人である視聴者に「あなたは今のまま、このままでいいのか」と訴えているように思えた。

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猪子さんの先見的な発想には、素直に感心しました。ぶれない自分というものをもっていると思いました。好きなことに一生懸命になれるということは、簡単なことのように思えて実はとても難しいことです。文化が資源だという考え方には感銘を受けました。私も日本が大好きで、和という概念をとても好んでいます。日本人であることに誇りを持っているし、和の良さをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。この番組を見てなんとなく自分がやりたいことや好きなことが整理できたような気がします。
この番組が伝えたいことは、ずばり今私が感じていた、「やる気」や「活力」だと思います。放送時間は日曜の夜11時以降。働く大人が翌日の仕事に憂鬱を感じてしぶしぶ床につこうとするまさにそんな時間帯です。その時間に、アサヒビールのCMを挟みつつ、日本にはこんなにも頑張っている人がいるんだ、こんなにもすごい人がいるんだ、ということを伝えて、ビールの力と共に、働く大人たちに明日頑張るための活力を与えることこそ、この情熱大陸という番組の真意だと感じました。まさに情熱大陸日本。島国にしてその秘めたる情熱は大陸をも凌ぐ、といった意味合いが込められているのでしょうね。


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現代社会における暗黙の了解の存在の有無については、私は氏と同じ有るという意見を持つ。
暗黙の了解とは、いわば常識というものではないだろうか。目上の人間に対する言葉遣いというのは、別に法律でかくあるべしと明記されているわけでもない。しかし、誰もが敬意というのは持つことが善とされる。
いわゆる「世渡り」というものの必要性を氏は述べていたのではないだろうか。

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この番組は放送日にリアルタイムで見ました。その時のこの猪子さんのすごさに驚いたことは今も覚えています。まず初めに思ったことはこの猪子という人は大丈夫なのか?と思いました。世間からはずれている様な印象を持ったからです。ですが番組でこの人の発言を聞けば聞くほどこの人はすごい人だ、という実感が出てきて、最終的には尊敬していました。そしてこれを見て時代はすでにメディアアートが主流になっていてこれからも進化し続けていく分野だなと感じました。また番組の最後に出ていたスマホを使った作品「秩序がなくともピースは成り立つ」は最近放送されていた某テレビ番組で使用されていたのを見て驚きました。
今後もきっとTeamLabは新しい作品を世の中に生んでいくと思うので、ちょくちょく公式サイトは見ていこうと思います。


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情熱大陸の感想…Team Labの猪子さんは、考え方がとても吹っ飛んでいるように見えた。やはりそういう変わった考え方をしていないと未来には通用しないのだろうか。そして彼はとても仕事を楽しんでいるのが伝わってきた。自分も猪子さんのように未来に生きた仕事をしてみたいと思った。Team Labについて。ホームページを見てみた。情熱大陸では紹介されていなかった企画などが他にもったが、社員の顔を選んでコンタクトをとる事ができるタッチパネル式のモニターは顔は覚えているが、名前を思い出せない事がよくある自分にとっては便利な物だなぁと思った。他にも3Dの人体模型など、医療にも役立つようなものもあった。アートやデザインだけにとどまらず様々な分野で活躍している事が分かった。
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・この番組が伝えたいこと。一番初めに思い浮かんだのは、最後まで猪子さんは見ている視聴者に対し「~をしろ!」といった明確な発言はしませんでした。自分としては、なんか命令されているみたいで、嫌な気持ちになります。普通の番組では、最後のまとめとしてゲストが視聴者に対して、偉そうにアドバイスみたいな事を言いますが、この番組からはそういった発言は無かったと思います。ただ純粋に、ゲストの興味ある事と仕事のやり方だけが伝わってきました。

・今までにも、情熱大陸は何度か見たことがありますが、この番組では個性の強いゲストが出てきます。そういった人たちから「共感する」といった感想は今まで出てきませんでした。その人だけの独自の価値観などは、視聴者には伝わらないと思います。なので、単純に仕事や生活風景を映すほうが、視聴者にとって理解しやすいのです。「すごいなー。」、「変な人だ。」、「おもしろそうなゲームだ。」といった単純な感想が得られれば良いのだと思います。

・日曜日の23時から30分間の放送ですが、これは同じ大人たちが、「月曜日から自分も変わった事をしてみようかな?」といった関心を出させるための時間帯に関係しているからだと思います。

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この番組は、23:00と多くの大人が我が家に帰り、食事や入浴などをして、一息付く時間帯(自分の親参考)であるため、対象にしているのは、30代~40代と思われる。

今回の番組で、猪子寿之さんは、自分の意見を率直に相手に伝えている。
それは、冒頭の質問に対する返答や入賞時の一言を聞けは一目瞭然である。
文化をお金に置き換えることを嫌い、自由な制作活動の場を広げ、文化の育ちや水位環境を作るべきではという意見にに共感を覚えました。
いろんな人と関わり合いを持ち、多くの信頼を得るためにどれほどの努力を詰んだのかわからない(この人の場合、素の言葉だけで信頼を得ていったのではととても思う)。
猪子寿之さんの講演を一度生で聞きたいと思いました。

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現代の中で暗黙の了解というものがあるが猪子寿之さんの発言はオブラートに包むことなく本当のことを言っている。文字や言葉に興味が無いみたいな事を言ってたが、私はこういった発言が自信を持って言える人が世界で芸術性や技術力が認められるのではないだろうかと思う。HPの求人ページに「オタクであること」と書いたり、自分のことを男の子という発言もするところが他と違う感覚を与えられる。
ニコニコ超会議の場面で全ての事に「金」の話を混ぜる人達の話に猪子寿之さんが機嫌を悪くしていたが、このことは共感が持てた。
仲間と協力してコミュニケーションを取り合うことで新しい知識やアイデア等が生まれてくるんだなと改めて思った。

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猪子寿之さんは、芸術的センスの他にトーク力(おもしろさ)がある。またチームを仕切るリーダー性も兼ね備えており、並大抵の人とは違った能力を持っている。また、猪子さんは楽しいことが好きでチームで作った作品などにギャグを組み込んだり、みんなと仕切りを作らないため社長室を持っていない。
 常識を覆すことをしてもなお、番組を放送するのはやはり、猪子さんがそれ以上の芸術性に優れていて認められているからであろう。
 この時間帯に放映し、アサヒを取り入れることは、仕事から疲れて帰ってきたビジネスマンに、面白い作品や面白い人相の猪子さんを見せ、こんな人生を送っている人もいることを認識させて、ビールでも一杯飲んで明日からまた頑張れといったメッセージが込められているのだと考える。


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人物を紹介する番組としては、自分はとても良くできた番組だと思います。
紹介にあたり、作品などの制作物や仕事などを冒頭で見せ、その人が何なのかをまず伝え、その後に人物の詳細を伝える。また。テレビ用の着飾った紹介ではなく、仕事や生活の日常の姿を写すことで、紹介される人物がどのような人間なのかがより見えてくると思います。人物の考え方やものの捉え方は伝わった気がしますが、番組の時間が少し短くも感じました。
番組が伝えたいことは、現代の日本の最先端を行く人物は、どのような事を思い、どのようなことを考え、どのようなことをしているのかを見せ、日本の現状やアイディアや技術を多くの人に伝えつつ、情熱を持ってがんばっている人の姿を見せることで、視聴者にも情熱を持って頑張ってもらいたいと放送していると思います。


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今回のこの映像をみて私が感じたことは、結局この番組が伝えたい本当のところは何だったのかがいまいち伝わってきませんでした。猪子さんの話を聞いていて共感できることは沢山ありました。しかし、それは猪子さんの話している内容だけでありこの番組が伝えたかったのは猪子さんのしている仕事の先に日本の未来があるということなのかあるいは、今のデジタル社会の現在を知ってほしかったのかが伝わりませんでした。放送時間帯については今回の猪子さんの場合、夕方の時間帯に放送したほうが良かったのではないかと考えました。私の考えですが、今回の猪子さんの話は学生である私たちが本来一番聞いておくべきものだと思うのですが、それに合わせて親の世代も一緒に見ることが大切なのではないかと考えました。私たちが見てこのような世界をデジタル化して物事を考えて社会で働いている人がいると知り自分も猪子さんのようになりたいと思っても親の世代の理解を得ないとなかなかその道を進むのが難しいと思ったからです。
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猪子寿之 1977年生 35歳 チームラボ代表取締役
情熱大陸の持つ3つの要素、
「日曜日の晩放送」「スポンサーのビール会社」「魔法の5分間」に目を当ててみると、
日曜の晩、酒を飲みながら迫る月曜日に思わずサザエさん症候群を患いそうなサラリーマンが、明日からまたがんばろうという気持ちになれる、そういう番組。
「秩序がなくともピースはなりたつ」はフジテレビ2012年10月6日放送の「世にも奇妙な物語」のOPでも利用されていました。
番組最後の「日本が好きじゃないんじゃないか?」との問いに、猪子氏は「(日本)チョー好き」「社会がある程度豊かだから、自分の仕事って成り立つから、自分の社会が未来も豊かであってほしい」「見苦しいといわれても、青春終わらないほうがいい」というくだり

 情熱大陸という番組の一番興味深い所は、出演者、キャラクターがどんな人物・職種であっても、番組のラスト5分のまとめでは、なんとなくいい話に聞こえてくる、見ている人の「自分も頑張らねぇと!」という情熱を呼び覚ませる部分にあると思います。
そんな番組終盤5分間のまとめの事を、『情熱大陸の魔法の5分間』と名付けたいです。


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素直に凄いと思った。
凄い才能と感性を持っている人だなと感じた。
それでも常に新しいものに挑戦し続けて、自分をしっかり持っていて、テレビ番組的には視聴者にこんな世界があること伝えるとともに
この人のように常に努力し続けることを伝えたかったのではないかなと思う。
最後の方に出てきたスマートフォンを大量に使った阿波踊りのアートが綺麗で凄く印象深かった。
あのアイディアとそれを実現できる確かな技術力はすごいと思った。
凄い余談ですが、最近放送された世にも奇妙な物語の最後でその阿波踊りのアートが使われていた。
常に新しいものを探し挑戦し続けることの大切さ、情熱を持つことを大切にしてほしいという事を伝えたかった番組だと思いました。


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猪子寿之さんには世界が人とは違った形で見えているのではないだろうか。大学在学中に「TeamLab」を創り、活動してきたことが猪子寿之さんが猪子寿之さんであり続けられる1つの理由なのではないかと私は考える。
他企業に就職しなかったことで猪子寿之さんの個性は潰されることなくありつづけているのだろう。個性を活かすことのできる仕事はその人の可能性を広げることができる。朝まで会社で仕事をし続けていられるのも好きな仕事だからだろうし、やりがいを感じているからなのだろう。番組側としてはCMにビールを挟んで、「ほら、仕事で自分の個性をいかして朝まで頑張ってる人がいるんだ。これでも飲んで明日から頑張っていこうじゃないか。」というメッセージを視聴者に送っているのかもしれない。

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 まずこの番組のテーマの通り、一番伝えたいことは人の熱意という情熱を一面に出したいことがあげられる。今回のテーマではアートというものを取り上げているが、取材の中では繰り返し彼がやりたいことをひたすら貫き通している場面を切り出している。それは自身の自信に満ち溢れた態度であったり、その経歴であったり、そして時にはそれらを主張するために人と対立姿勢であったり。見ている人にはおそらく皆彼の態度に彼自身の熱意と情熱が感じられたはずである。それが反発であるか共感であるかは別として。私自身にはこのような自信とはかけ離れており、少しあこがれも感じる。
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情熱大陸という番組は今まであまり見た記憶がないが、日曜日の夜11時という遅い時間に流し大学生や若い社会人に対し、明日から新しい考え、将来への希望を持ち情熱を持って月曜日からの活動を迎えて欲しいという番組なのだろうと感じた。
今回出演した猪子寿之氏は社会は不公平等と現実は教えつつも自分のあるがままの生き方を見せ、社会の中でも夢を求め通用するということを見せているということを感じた。
特に、なんでも金に置き換えた話に嫌悪感を覚えたり、一人だけpixiv成立に賛成したという話にこういう考えはとても変わっているがこれからの社会にとても大切な考えであると伝えたかったとだろうと感じた。
多少変わっているかもしれないが、それでも確かに出演者の情熱、そして将来の考えについて情熱を持てるような番組内容だった


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この「情熱大陸」という番組は、様々な分野で活躍する人たちに密着取材して取り上げて、紹介していくドキュメンタリー番組である。この放送分ではデジタルクリエイター・猪子寿之氏が取り上げられている。

番組は日曜の23時に放映されており、合間にはアサヒスーパードライのCMが流される。このことから対象とされる視聴者層は「ビールを飲んでゆっくりしている月曜から仕事のある社会人」であろうと推測できる。

番組内ではその仕事や人物像が紹介されていく。
この放送分では、猪子氏の作品、所属している会社の風景、会議風景、その思想などが紹介されている。

番組が伝えたいことは「休みが終わって仕事だという人々に、頑張っていく活力、情熱を与えたい」というではないかと思う。

番組内では楽しそうに仕事をする場面や会議中に寝てしまう場面、不機嫌そうな場面など、視聴者の社会人が同じように仕事においてありそうな、共感を出来そうな部分を流している。

そういった同じように仕事をしている人で、こんなに活躍している人がいるのだということを取り上げて紹介することで視聴者の仕事に対するモチベーションを高めようとしているのではないかと思う。

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●情熱大陸・猪子俊之20120715 についての感想
放送時間帯:毎週日曜日23:00-23:30(30分)

頑張って、頑張って、努力して凝り固まってほてった体を
ピコピコという心地よい効果音の後に、また、同じく心地よいバイオリンの音色。
滑らかで青く静かな円がポコポコとあらわれて、すっと身に染み渡る感じ。
疲れが抜けてゆく。ナレーションも爽やかで、そして、Asahiビール。
大体この時間帯は、視聴者はお酒を飲んでおり、若干ボーっとした頭で画面を眺めていることでしょう。

とてもその場に適した表現だと感じました。
視聴者に対して、心理的に疲れを癒すもの(番組)といった認識を、意図的に、自然に擦り込ませています。

お酒を飲んで疲れを晴らして、明日からまた頑張るぞという目的でお酒を飲むことが多い

という潜在的な

お酒に対する概念

を利用している)
そのため、又来週も同じようにこの番組を見てくれることでしょう。
番組本編でも、視聴者がお酒を飲みながら観ている事を仮定し、癒しの表現を加えています。
ナレーションは、若干遅めの話し方で聞きやすく、おだやかな話し方です。
また、

人物のエクストリームクローズアップショット→コマンドプロンプトのクロースアップショット→作品のショットといったように次々と切り替える


ような印象的な表現が多く取り入れられています。
それらに加え、BGM、SEを多用して、もし、ナレーションの内容を聞き逃したり、理解できなかったとしても、音で惹きつけることを行っています。
しかし、内容は、タイトル「情熱大陸」からわかるように、どちらかと言うと、落ち着いた感じではなく、熱い情熱を感じます。
ただし、ナレーション、音などの表現によって、あっさり見てしまう事ができ、癒しと共に、来週からの仕事を頑張ろうという気にさせてくれます。
つまり、この番組の本質は、癒しと、やる気であると言えます。
これらを踏まえると、番組の始めの青い円とピコピコした効果音、バイオリンの音色、表現Asahiビールといったものは、
視聴者に対する戦略であると同時に、上で述べた番組の本質

癒しとやる気

を前面に出した、
いわゆる番組のキャッチコピーの役割として、挿入されていることが解ってきます。

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猪子寿之さんがおっしゃっていた現代の社会には暗黙の了解というものが存在する。はそのとおりだと思います。暗黙の了解はコミュニケーションを取る上で大切なことだと思いますが、あまりやり過ぎるとそれは逆にコミュニケーションを取りづらくしているとも思いました。
猪子寿之さんが話していた内容で共感できる内容や納得できる事柄が沢山ありました、それは猪子寿之さんがその意見を自分の中で理由付けや自信を持って言ってるからでもあるのかとも思いました、自分に自信を持って自分の意見を発言する、これこそがコミュニケーションを取る上で大切なことなのではないかと思いました。
現代の社会では、自分に自信を持つことや自分の意見の理由を言えなかったりして説得力などがないために現代の人はコミュニケーション力がないなどと言われているのではないかとも思いました。


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この番組の視聴者としての感想は「形に囚われないアートには未来への可能性が広がっているんだなぁ」というものですが、製作者目線での感想は「この番組を見たアーティストの卵たちがもっと意欲的に活動してくれればいいな」というものでした。
視聴者というものは、TVを介して見る映像をどこか別世界の話であるかのように捉えています。自分には関わりのないことだから、興味のない分野だからと真剣に見ることをせず、「凄いなぁ」という感想だけで終わらせてしまいます。しかし、こうしたドキュメンタリー番組の主役は今正にこの世界に貢献している人物であり、会おうと思えば会いにいけるほど身近な存在です。彼らは私たちと変わらない普通の人間であり、TVで取り上げられただけの極一般的な社会人でしかありません。私たちにも、彼らのように他人から特別だと思われるような仕事ができる可能性は十分にあるのです。
番組としては、視聴者の意識を「凄いなぁ」で終わらせず、「自分もやってみよう」というレベルにまで喚起することが目的なのではないかと思います。


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 猪子寿之さんのドキュメンタリーを見て、率直に何かを作り出すことの意欲が湧いてきました。
自ら何かを作り出して、それを世間に発表したいという気持ちが出てくる映像でした。
その気持ちは映像内の猪子さんのアートに対する情熱によって生み出されてきたのだと思います。
いつまでも青春の様にありたい、子供の様にひたすらに楽しめるものを作り出したいという気持ちが本当に伝わってきました。
 番組制作側からはこの「情熱大陸」を視聴することによって、「自らの発信・情熱」の大切さを訴えているのかなと
思いました。番組を見て、視聴者が「自分も猪子さんの様に○○したい」と考えられる様に作られた気がします。
 また日曜日、夜11時からの放送時間を考えて翌日の月曜日から仕事をする人向けにも考えられたものと思います。社会人へいつものルーチンワークの様な考え方から一歩踏み出した情熱を出してほしいという意図があったのではないかと考えます。

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情熱大陸では約30分間メインに取り上げられている人物の仕事に対する情熱や思いを紹介する番組の構成になっていますが、放送時間が日曜の23時にしていることやスポンサーがアサヒスーパードライのことなどから考えるに私は月曜日から再び仕事に向かおうとしている最も憂鬱に感じている一般的に人が眠る前の時間である23時に仕事に対して熱い思いをもって仕事に取り組んでいる人達の事の紹介をビールを飲みながら見て知ってもらうことで明日から始まる仕事にたいして仕事の楽しさを再認識してもらい再び1週間仕事に対してやる気を出してもらおうとしているのだと思います。もう一つの目的は仕事に対する新しい見方や考え方も見つけてほしい番組ではないかと思います。


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 この番組の放映時間帯は毎週日曜 夜11時~11時半の30分間であるが、なぜこの時間帯に放映しているのか。この番組が終了するとすぐに次の日に変わる。実は、次の日である月曜日は自殺者が一番多い曜日らしい。それは休みが終わり、仕事や学校が始まるから、辛い現実に引き戻されるからだそうだ。つまり月曜日は仕事や学校が嫌と考える人が多いのだろう。そういった人に向けて、この番組は毎回、様々な分野の第一線で活躍する人物にスポットを当て、その人物の魅力や素顔に迫っているのではないかと考えられる。現場での実際の頑張りややる気を見せることで、視聴者にも自分も明日から頑張ろうという気持ちを起こさせるのではないだろうか。
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 この番組が伝えたいことは、日本にはアニメやゲームだけではなくほかにも多くの文化がたくさんある。つまり、まだ日本は捨てたものではないということ。
また、これからの日本は、このような子ぞん概念にとらわれない人物が必要ではないかということ。
そして、新たな日本の可能性やビジネスチャンスがあるということ。
他には、日曜夜11時にやっていることから社会人や経営者などに明るい話題を提供し、今週も一週間頑張っていこうというメッセージ。
スポンサーの広告、次回の番組予定と、この番組はTBSが制作していること。
あと、地震速報。
などある程度エンターテイメント性があり、視聴者の関心を得られ、継続してこの番組を視聴してもらえるような番組であることだと考えられる。

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情熱大陸は、日曜日の夜11時という週の始まりであり終わりの時間という時間に放送している。この時間というのは自分もそうであるが、学生は休みが終わり講義が始まる。社会人は休みが終わり仕事が始まる・という一週間を通して一番憂鬱になる時間である。そのため、ほとんどの人たちがモチベーション低下している。よって、情熱をもち仕事をこなしている人達の事を紹介することによって月曜日からの仕事や講義を憂鬱な状態ではなく、情熱をもち、良い状態で行動してほしいという思いを込めていると考える。
また、さまざまな職種を紹介することで、別の見かたや、考え方をしてもらい、改めて別の見方や感じ方を感じ取り自分のものにして欲しいという番組であると考えます。

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日曜日の深夜11時に放映していることからこの番組は、次の日は平日なのに11時にもなってテレビを見ている、または夜更かしをしている若者をターゲットにしているのではないかと思いました。内容もその道の天才である猪子寿之が自分は働くときに何を考えているかや、この仕事を始めたきっかけ、
また異なる分野で働く人との交流など、大学の就職講座で使われても違和感のないような編集でした。私の考えでは、この番組のこの回は就職氷河期で将来に希望を見いだせない子供や、就職難に不安を感じている若者に今の世界で最前線に立って働いている天才の活躍を見せることで若者に希望を持たせ、将来のビジョンを明るくもってほしいと考え作ったのではないかと思いました。

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 放送時間帯が日曜夜ということで月曜日から自分も頑張るぞって気分になれる。
 猪子さんの発言が面白かった。

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・課題3「ピアジェの遊びの段階説,感覚運動遊び」
 本日の講義をふまえて,自分なりの体験を説明してみて下さい.
 作文:1000文字以下

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感覚運動期。感覚と運動が表象を介さずに直接結び付いている時期。0歳から2歳。
記憶に無い。
前操作期なら、ヒーローごっこや玩具のロボットを使った遊び記憶が辛うじてある。最も、一番はっきり覚えているのが4,5歳くらいの頃から始めたテレビゲームであるというのは、ビアジェ氏的にどんな気持ちだろうか。なんだか申し訳ない。

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ピアジェの遊びの段階説、感覚運動遊び
昔の事はあまり覚えていないのだが幼稚園の頃は遊具のスクーターを取り合ったりヒーローごっこにしても誰が主役をやるかというのでいつも周りが揉めていたように思う。
これは前操作期のイメージ再現期に当てはまるだろう。
もう少し経って小学校低学年になると幽霊を信じていたり無機物にも生命が宿っていたような感覚があったような気がする。
これは抽象的思考期のアニミズムに当てはまる
それからも特にエピソードは無いが大体当てはまっていると思われる。


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小さい頃の記憶はあまりなく、あったとしても電車見たさに駄々をこねていたりゲーム見てたりなのであまり外ではしゃいでいた覚えがない
保育園で物を占領し、それを盗られようとしたときに本気で喧嘩に発展させたりくらいだろうか

身体を動かすのは楽しいな、と明確に感じたのは高校の中期くらいからだと思う
勉強やゲーム等で篭ってばっかりだったのが、外に出てみると風を感じたり、走れば心地よい疲れが身体を包みこむような感覚
身体に適度な疲労があるとぐっすり眠れると思った

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感覚運動とは位置感覚、視聴調整感覚、聴覚調整感覚があり、どれも人間にとって基本的な機能であり、多くの人が気にも留めていない機能である。

位置感覚は平衡感覚・高さ感覚・回転感覚などで構成され、遊びとしてはジャングルジムや平均台、鉄棒などが挙げられる。

視覚調整感覚は目で認識しながらそれに対応した動作をする事で、目と手、目と足など自分の目と他の部位を同期させて動かす遊び、ボール投げやサッカーなどが遊びとして挙げられる。

聴覚調整感覚は視聴調整感覚の耳バージョンで、耳で認識しながらそれに対応した動きをする事である。遊びとしては曲に合わせた踊りや、縄跳びがある。

それらを踏まえ、私の感覚運動遊びの体験を述べたいと思う。
私は小さい頃ミニカーが大好きだったので、部屋中をたくさんのミニカーを車の走る音を口ずさみながら走らせていた。
この動作は感覚運動の視覚調整感覚(目でミニカーを認識してそれを掴んで動かす動作)ともしかしたら視聴調整感覚(口ずさんだ車の走る音を聞いてミニカーを動かしている)にも引っかかるかもしれない。

参考ページ:幼児教育の身体運動に何が必要か

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 感覚運動遊びとは、感覚や運動の機能を働かせること自体に喜びを感じる時期の遊びのことです。例を挙げると、かけっこやボール遊びなどがそれにあたります。
私の覚えている最古の感覚運動遊びは、幼稚園のころまでさかのぼります。幼稚園の園庭に勢いよく飛び出し、走ることがとにかく楽しかったのを覚えています。三輪車に乗って遊ぶこともきっと感覚運動遊びでしょう。こぐことで前に進み、ハンドルを切ると曲がるという当たり前のその動きがどうにも楽しく、幼稚園の休み時間には三輪車の取り合いがよくおきていました。ホッピングマシーンやブランコ、フラフープや滑り台で遊ぶことも感覚運動遊びだと思います。どれも感覚的に遊んでいて、ただただそれが楽しいと感じるものでした。もう少し現在に近い記憶だと、ホッピングマシーンやブランコで遊ぶにしても、なにかしらのルールを設けて遊んでいました。ルールもなしに楽しんでいた幼稚園にある遊具は、なるほど感覚運動遊びに適したよく出来た遊具だと感心してしまいます。


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記憶の中で感覚遊びや運動遊びに当てはまるものは木登りだと思います。ガジュマルという木で、同体を動かせばより高く登れるかを、感覚で探り探りしながら登っていました。
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思い出せるのが幼稚園の年中からの記憶で、戦隊ものの人形で遊んだりウルトラマンごっこやドラゴンボールごっこあとは紙飛行機や鬼ごっこで遊んだ。
年長になるとドッジボールやサッカーで遊んでいた。小学生になるとやはり鬼ごっこやドッジボールで遊んでいた。歳が上がるにつれて一緒に遊ぶ人数が増えていき大人数でまとまって遊べるようになっていったと思える。

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ピアジェの遊びの段階説、感覚運動遊びについて自分の体験…おそらく自分のよくやっていいた感覚運動遊びは階段を上るだけの遊びだったと思う。目的もなくただ登っては降りられずに泣いて親を呼んでいたとよく聞かされていたので。
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・ピアジェの「発達論」「遊び理解」に基づき、遊びの発達過程を4段階に分けられました。
 1:感覚、運動的遊びの段階
 2:機能的遊びの段階
 3:象徴的遊びの段階
 4:社会的遊び、ルール遊びの段階

・中でも、感覚、運動的遊びの段階では、「聞いたり」、「見たり」、「触ったり」、「嘗めたり」してその感覚を楽しむ遊びと、手足を動かして、動き事態と物への関わりを楽しむ遊びで、感覚器官の発達や運動能力の発達の段階です。

・記憶を遡ると、公園の砂場で遊んでいた時に、ドロだらけになりながら山やトンネルを作っていました。水でドロ状になった砂の感触が気持ちよくて、ドロ団子をたくさん並べて店みたいのを開いたりしていました。


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そんなに昔のことを憶えていないため、部分的に親戚の子の小さい時の状況を用います。
感覚運動期(0~2歳)の時は、積み木、人形などを使って遊んでいましたが、口にくわえる、振り回すなど、規則性や、ルールなどが存在する遊びは全くしていませんでした。

前操作期(2~7歳)の時は、鬼ごっこやかくれんぼをやったりして、その遊びにルールや取り決めができるようになってきて、ほんの少し手がかからなくなりました。

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感覚運動期、前操作期、両方の記憶が正直ないです。
でも、この時期の年代の子供達と遊んだことがあります。
感覚運動期、生後から1歳半~2歳までの子供は積み木や人形など特にルールや秩序を必要としない感覚で遊べるもので遊ぶ。
前操作期、2~5・6歳の子供は、鬼ごっこやかくれんぼ等ルールを設けた遊びになる。
また、この辺から秩序や遊びの上での上下関係が生まれるのではないだろうか。

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記憶があるのは、だいたい幼稚園の高学年位からで、アスレチックを使ったおにごっこや、家の中でかくれんぼをしたりしていた。また、ままごとや戦隊ものの人形で遊んでいた覚えもある。
小学生からドッジボールを初め、室内では絵を描いたり折り紙やゲーム、カードをしていた。また、夜にお父さんとクワガタやカブトムシを取りに行ったりしていた覚えがある。取ったの育てて、幼虫から成虫にさせたりもしていた。
年をとるにつれて、先を考えて行動する(遊ぶ)ようになっていった。


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自分の自我や記憶は四、五歳位からなので、それ以前のことは覚えてないのでよくわかりません。
その位の頃は、おにごっこやかくれんぼやままごとなどのごっこ遊びを中心にしていた覚えがあります。外で遊ぶ時は、公園や空き地などで遊び、いろいろなものを遊び道具に使ってました。家では人形などで遊び、トランプなどの簡単なカードゲームもしていた気がします。
それから少し経った頃から、少しずつゲームをするようになっていきました。
小学生くらいも、おにごっこなどをしつつ、授業などでスポーツなどもするようになり、トレーディングカードゲームもちょっとするようになりました。ゲームをする量も増えていきました。
その後は、遊びはゲームが中心になり、一人でも多人数でもゲームをしていました。


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子供のころによく友達と近くにある森に遊びに行き、昆虫をとって遊んでいました。始めは昆虫をみつけてはすぐに手に取りいろいろと触っていましたが、少し年齢を重ねその昆虫についての知識をつけていくと、すぐに手に取るのではなくその状況や状態をみてから何故この昆虫はここにいるのかなど考えるようになりました。
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ピアジェの遊びの段階 私の経験
感覚運動器:
覚えていない。おそらくほかの乳児同様に動くこと見ること触ることに楽しさを見出していた?
前操作期:
だいたい幼稚園から小学校入学まで、おそらくは兄のする事などの真似事?
積み木やおもちゃの車や電車を動かす、絵本を見るTVゲームを見る
具体的操作期:
小学校低学年頃、子供向けの漫画や雑誌を読んだり、レゴブロックやビデオゲームなど考えて操作する必要があるオモチャで遊んでいた。
形式的操作期:
やはりビデオゲームばかりやっていた。他人とは少し違う面白い事をしてウケを狙うことが楽しくて楽しくて、どうすれば人を笑わせられるのか研究していた。


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私が覚えている感覚運動遊びは、幼稚園のころ友達と追いかけっこしたことです。
追いかけられたり、相手を追ったり、その当時はとにかく体を動かして遊ぶことが好きでした。
追いかけっこ以外にも三輪車などの遊具を使うことも楽しく、それも感覚運動遊びだと思います。
規則もルールもなく、とにかく体を動かす遊びがとても面白かったのを覚えています。


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 感覚運動遊びとは、感覚や運動の機能を働かせること自体に喜びを感じる時期の遊びのことです。
私の覚えている限りの一番古い記憶で感覚運動遊びは、保育園の頃の高いところからジャンプして飛び降りるです。とくにルールや決まりごとがあった覚えはなく、ただ飛び降りること、高いところでバランスをとることに楽しさを感じていた覚えがあります。ほかにはスクーターで移動することも楽しかったように思います。スクーターをけって楽しんでいたのを覚えています。
その頃のものとは違うものかもしれませんが、私は今でも感覚や運動の機能を働かせること自体に喜びを感じます。

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 この課題のテーマである、感覚運動遊びとは、およそ0歳から2歳くらい前までの間に覚える遊びである。例えば何か自分で物をたたいたりすることで音を作ったり、寝返りをうつことで体を動かしたりするなど、文字通り何かをする感覚を楽しむ行為をさす。しかし、この遊びは大人になればしなくなるわけではなく無意識にしろ意識的にしろみながやっている行為でもある。例えば貧乏ゆすりであったり、音楽を聴いてリズムを取ったりなど。
 私の一番古い記憶では、いろいろやっていたように思う。例えばひたすら上り棒でひたすら上り下りをして振動を楽しんだり、畳の上を這いずり回って畳のざらざらを楽しんだり。唇をずっと噛んでいたり、金玉をずっと触っていた覚えもある。とても素直な子供だったのだろう、あのころは。


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ピアジェの遊びの段階説において、感覚運動遊びの段階とは0~2歳の赤ちゃんが聞いたり、見たり、触ったり、嘗めたりしてその感覚を楽しむ遊びと、
手足を動かして、  動き事態と物への関わりを楽しむ遊びで、感覚器官の発達や運動能力の発達の段階とある。
自分はその時の記憶はあまりないがそれ以降の前操作期の段階の年齢の時に感覚運動遊びと思われるような行動については記憶がある。
沢山あるおもちゃを持って感触を楽しんだり振り回す、投げて他の物にぶつけて反応を見る等、意味もなく物の動きや感触を楽しんでいたという記憶がある。内容によってはもしかしたら次の段階の遊びになるかもしれないがこれが自分の覚えている限りで一番古い感覚運動遊びと思われる内容である。

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・感覚運動期(0~2歳)
 記憶が薄く、思い出せない。
 公園の砂場で遊んでいたように思う。
・前操作期(2~6歳)
 プラレールでレールを繋げ、電車を走らせ遊んでいた。
 レールの組み方でコースをどうするかはあまり考えてなかったように思う。
 虫とり、池で釣りなどもして、バッタやカマキリ、ザリガニを捕まえていた。
・具体的操作期(7~11歳)
 ビデオゲームをプレイしたり、プラモデル組み立てたりしていた。
 ゲームはどうすればクリア出来るかは理解出来ていた。
 プラモデルは説明書通りに作っていた。
・形式的操作期(12歳~)
 ビデオゲームは情報なども集め、どうすれば効率良く攻略できるのかを考えてプレイするようになった。PCに触って分からないなりに色々と操作をしていた。

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●ピアジェの遊びの段階説、感覚運動遊び

ピアジェの発達段階説では、発達は、同化と調節を通して行われるそうです。

・以下に、各年代での発達段階を示します。
感覚運動期 0~2才
前操作期 2~5才
 前期:イメージ再現
 後期:言語習得
抽象的思考期 5~11才
 前期:直感的思考
 後期:具体的操作
形式的操作期 12~15才・成人

・同化と調節の意味は、以下の通りです。
同化:既有のシェマを外界に当てはめて、概念を拡張する
調節:既有のシェマを外界に当てはめて、概念を修正する


・感覚運動遊びとは、大体0~2歳ごろに行われる発達を伴う遊びと言えます。
感覚運動遊び 0~2才 ・・・ 生まれ持った反射を元に同化と調節を繰り返して

遊び

、感覚運動シェマを発達。


・同化と調節の例として、以下のような事が挙げられます。
同化:おっぱいや哺乳瓶を吸って、栄養を摂取することを知る
調節:指やおもちゃを吸っても、栄養は摂取できないと知る

以上のことは、参考URL先から引用しました。


0~2歳くらいの子供がする遊びというからには、結果として楽しい、嬉しい、快感など、ポジティブな効果が
あるものだと考えられます。

以上のことを踏まえ、自分の感覚運動遊びの経験を述べます。

私には感覚運動あそびの記憶がどうしても思い出せなかったので、自身が必ず経験している事として、


何かに触れる

という事例について述べます。自分の体に触る(手と手をたたいて

ぱんぱん

と音を出して遊ぶ)場合、


同化

として、以下のような事が挙げられます。
  ・音が出ていることの知覚→叩くと音が発することの知覚
  ・触覚(右手で左手を触ると右手と左手に刺激が伝わる)→自分の体の知覚
これに対し、他の物を触ることで、以下の

調節

が得られます。
  ・物によって発する音が異なったり、すべすべしてたり、べとべとしている、温度の差など
   →それぞれ異なるものであることの知覚
  ・自分の体に触れた場合、触れられた部分の刺激があるが、他の物体に触れると、触れた手にしか
   刺激が伝わらない→

他の物

の知覚

<参考URL>
ピアジェの発達段階説
http://www.shikaku.u-tokai.ac.jp/k/06J.Piaget.pdf



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感覚、運動的遊びでは、記憶にある遊びで虫取りをしていました。捕まえて、見たり触ったりしていました。他には親・友達と一緒にお菓子を作っているときに作り途中の生地を食べたりなどしていた気がします。
機能的遊びでは、縄跳びやボール・公園にある遊具を使った遊びなどをやっていたと思います。
象徴的遊びでは、おままごと的なものをやっていた気がします。ぬいぐるみそれぞれに名前をつけてそれを家族や友だちに見立てて遊ぶ感じです。
社会的やルール的遊びは、何人かで集まった時にかくれんぼや鬼ごっこ、ドッジボールなどといった遊びをしていました。


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 ジャン・ピアジェが考案した思考発達段階説においては、子供達の成長は以下のステップを踏んで段階的に成長していきます。

感覚運動期(0~2歳)
生まれたばかりの乳児の段階です。この時、子供は感覚と運動が表象(思考)を介さずに直結しています。物を考えるということができず、正に意のままに行動します。

前操作期(2~7歳)
立ち上がることで行動範囲が増した幼児の段階です。家族以外と接触する機会が増え、友人を作り集団で遊び始めます。この時、子供たちは『ままごと』のように父や母などの役割分担、つまり記号的機能を持つ遊びが可能になっています。しかし、自分が相手の立場ならどう思うか、といった他者の視点に立つ想像力は未発達で、多分に自己中心性を備えています。

具体的操作期(7~12歳)
身体が大きく成長し始め、それと同時に思考能力も成長した小児の段階です。数や量の概念を認識することで単純な計算を行えるようになり、可逆的な操作も十分可能な能力を身に付けています。また、日本では小学校に通うことで社会性を学んでいく時期でもあります。

形式的操作期(12歳以降)
心身共に一定の成熟を見せ、具体的な未来像について想像を始める少年の段階です。形式的或いは抽象的な操作が可能になり、数学や物理学の公式を理解して応用することもできます。また、『こうすればどうなる』『こうならばこうだろう』といった仮説による予測、仮説演繹的思考ができるようになります。

こうして羅列した上で自分の過去を思い返してみると、あやふやな部分もありますが、概ねこの通りに経過していました。すると、これまで通ってきた幼稚園、小学校、中学校での勉強が、ちゃんと子供の思考に合わせて行われていたのだと改めて理解できました。難しかった教科も問題なく理解できるだけの下地はできていたのだと思うと、少し悔しい思いがあります。


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 私は幼い頃の記憶として保育園、幼稚園で走り回っていた思い出があります。
また感覚運動遊びとして走っているだけで楽しい感覚も覚えています。自宅の階段を
意味もなく、ひたすらに上り降りしていました。疲れたらやめて、元気になったら次は
兄弟と一緒に競走もしていました。
 象徴遊びでは手を使った遊びをした思い出があります。正面の人と一緒に手を打ち
合って遊ぶ形です。順番を間違えて笑ったり、怒ったりした思い出があります。
 ルール遊びでは小学校内でサッカー、野球を初め、複数のスポーツをしたことを覚えています。このころよりスポーツへの興味が湧いてきた気がします。

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自分の遊びの歴史について改めて考えてみると確かにピアジェの遊びの段階説に則っていると思います。幼稚園入学前では回りにいた幼馴染達とは公園の滑り台やブランコなどでただ遊んでいただけでしたが、幼稚園に入学し団体行動というものを知ることで幼稚園以降からルールのある遊びである鬼ごっこやかくれんぼ、ドッチボールなどに遊びが切り替わっていったと思います。そして年齢を重ねていくことにより難しいルールのある遊びを求めている気がします。ピアジェの遊びの段階説にも自分の遊びを振り返ると納得させられてしまう気がします。


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ピアジェの「発達論」「遊び理解」に基づき、遊びの発達過程を4段階に分けられた。
 
1.感覚運動的遊びの段階
  聞いたり、見たり、触ったり、嘗めたりしてその感覚を楽しむ遊びと、手足を動かして、動き事態と物への関わりを楽しむ遊びで、感覚器官の発達や運動能力の発達の段階。
  ・アルバムで見たもので、赤ん坊の頃、ティッシュ箱のティッシュをなくなるまで引き抜き続けた。これは引き抜いても次から次に現れるティッシュを、どうなるか考えずひたすら繰り返したからだろう。
 
2.機能的遊びの段階
  物やおもちゃの仕組や機能を理解し、それに合った遊びをする。この機能的遊びは、模倣能力が伸びてくる。親との情緒的な結び付きの形成が、この段階の遊びの発達に関係している。
  ・ミニカーやチョロQといった車のおもちゃを廊下で走らせた。これはおもちゃの機能を理解し、車の動きを模倣している。
 
3・象徴的遊びの段階
  この段階は、変わりの物を使う、見立てる、空想する、イメージの世界を作り出す遊びの世界を組み立て構成するということが特徴で、象徴的能力の発達の段階。普通1歳半前後から見られる
  ・積み木使って、迷路を作った。これは積み木の形を理解し、組み合わせることで別のものを作り出している。  
 
4.社会的遊び、ルール遊びの段階
  この段階の遊びは、仲間との相互性、役割を演じること、協力すること、ルールを作り守ること、ゲーム性が特徴である。この段階の遊びには、子どもの象徴能力の発達に加えて、他者との関係の中で自分を主張したり我慢したりして強調する自我の能力の発達の段階。
  ・鬼ごっこやかくれんぼなど、ルールを定め複数の人間で遊んだ。
 
 これらの段階は前の段階が発達するにつれて消えるのではなく、存続しており、この前の段階の上にさらに高次の段階が積み重なっていくと考えられる。

引用元:http://www.asahi-net.or.jp/~sf2a-iin/23.html

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私の記憶では、3~4歳くらいには兄と一緒にレゴブロックで遊んでいたように思う。
レゴブロックで遊んでいたと言っても何か意味のある造形物を作ったりなどはしていなかったと思う。
しかし、幼稚園に入園する3~5歳あたりでは友達とごっこ遊びや、兄とTVゲームなどをしていたと思う。また、親に聞くと2歳くらいの頃は電話の受話器を引っ張って遊んだりとしていたため感覚遊びはこの時代に経験していると思われる。
幼稚園にいる頃にTVゲームをしていたきおくがあるが、ルールを理解していたかどうかまでは思い出すことができない。

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ピアジェの遊びの段階説における感覚運動遊びの段階とは、0~2歳児の子が聞く、見る、触るなどの行動をしその感覚を楽しむ遊び。
また、手足を動かし、物との関わりを楽しむ遊びであり、感覚器官の発達、運動能力の発達の段階が存在する。
昔のことのため、記憶はほとんどないが、自分がしていた感覚運動遊びは砂場での遊びであったと思う。砂場で山を作る、団子を作り、投げ、壊す。穴を掘り水を汲んできて、川のようなものを作る、できたものを見る、そして壊す。など、こういった行動をしていたと思う。

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私の記憶しているもので最古の感覚運動遊びは通っていた幼稚園内で流行っていたゴーカートという遊びで、遊園地にあるような遊具ではなく、幼稚園の片隅に積んであるタイヤを転がして走る遊びですが、私はこの遊びが苦手で数回やってからは室内の遊びをするようになりました。
今思えばあの遊びは走りながら目の前でタイヤを転がして走るという複雑な遊びで、あのころの私は他の子供に比べて走る運動とタイヤのバランスをとる感覚の同時進行が下手だったので途中でやめてしまいましたが、
もう少し続けていれば今よりもましな運動神経が得られたのではないかと思いました。


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 車のおもちゃでレースをしたりしていたと思う。


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